李忠成とFC東京の“不幸なすれ違い”=完全移籍オファー辞退の真意
不完全燃焼からきた「のらりくらり」の表現
ポポヴィッチ監督(奥)は李(右)を高く評価していた。しかし、出場機会を求める李はチームを離れる決意をした 【写真:FAR EAST PRESS/アフロ】
李が使ったこの表現が報道を通じて拡散すると、ずいぶんとネット上でたたかれた。言い得て妙だとは思う。
ポポヴィッチ監督も李の実力を高く評価していた。
しかし、4カ月間の短期契約で今シーズンを通しての処遇が確定しておらず、コンディション面も不安を残し、チームにフィットしていない李をいきなり中核に据えるわけにはいかなかった。李を使いたくないわけではない。チームの運用に支障をきたさない範囲で、能力を引き出そうとしたはずだ。推測ながら「はずだ」と言い切れるのは、たしかな痕跡があるからだ。
ポポヴィッチ監督は、合流直後から李を積極的に練習試合とプレシーズンマッチで使った。サイドハーフで、1トップで。開幕スタメンを想定しているかのような起用法だった。
いざJ1が開幕すると1トップは渡邉千真、4−2−3−1の「3」はルーカス、東慶悟、長谷川アーリアジャスールで埋まっていたが、李は12番目の選手として特別扱いをされているかのようだった。クラブの象徴ともいえる石川直宏、キャンプの期間に結果を残してアピールした河野広貴よりも交代要員としての序列は上。後半になると、渡邉にかわり登場することが常だった。渡邉が「すぐに代えられるから結果を残さないとまずい」と、たびたび危機感を口にするほど、それははっきりしていた。
李のコンディションが上がってくると扱いはさらに良くなった。3月23日のナビスコ杯予選リーグ、対鹿島アントラーズ戦。サイドハーフで先発した李は後半、渡邉との2トップのようなポジションでプレーし、移籍後初ゴールを挙げた。トップ下の東をサイドに回してまで試した、9番とのコンビだった。李は「次が大事なんで」とさらなる活躍を誓い、燃えていた。
しかし、トップの組み合わせを李&渡邉に変えると連勝がストップ。成績が悪化し、再び李は12番手以下に序列を下げた。故障者が増えて先発の機会をつかんだのは、中断期間を迎える直前だった。
5月25日の対鹿島戦が決定的だった。前半得点したものの、後半20分に下がり、契約期間最後の公式戦を終えた。不完全燃焼。それが「のらりくらり」という表現の根拠だった。
やむを得ない結末だった移籍という決断
どういうことか。李は、それでも使いたいと思われるほど自分はスーパーではないという意味のことも言っていたし、「深いところをわかってほしい」とも言っていた。
この4カ月間、李は一定以上のコンディションにあり、その状態の良さを自覚していた。5月にはコンビネーションが熟成して周囲と良い連動を見せ、チームにもフィットしつつあった。
初ゴールまで1カ月弱を要してしまったことを除けば、確実な手応え。
しかし、あくまでも起用法はチーム事情に沿ったもので、いくら努力をしてもそれがストレートに出場機会に結びつくことはない。
W杯まであと1年。そして、一般的に言われる、20代後半の選手としてのピークがあと4年。全盛期を、自分の力と出場機会がイコールで結びつかない現場で過ごしていいのか。後悔はしたくない。
それはここまで移籍を繰り返してきたときの決断と同様の、野生の勘だろう。「移籍したとしてもポジションの確約があるわけではない」と、李は言う。調子が悪く力が足りなければ出られなくとも仕方はないが、自分が良ければ自分の力で出場機会を獲得できる場にいたい。
自分の力ではどうにもならないという、浮遊感の中で過ごすことへの不安が、李を突き動かした。
そして、李がどうしてもここにいたいと思わせるだけのバリューがFC東京にはまだないことも、認めなければならないだろう。
欧州のメガクラブがさあどうぞと手招きするレベルにはなくとも、小平は彼にとってもはや手狭な庭になっていた。李はFC東京がもて余すほど大きな存在になってしまった。
それゆえの特別待遇も、李の不満と不安をかきたてる結果にしかなっていない。
不幸なすれ違い。やむを得ない結末だったのかもしれない。
<了>