クルム伊達も評価、25歳青山修子の快進撃

内田暁

大学進学後に頭角 実績重ね4強入り

全英4強入りという快進撃を見せた青山(左)、シーパーズ組(写真は準々決勝) 【マーニーズフォトグラフィー/アフロ】

 わずか10日ほどの間に、人はこれほどまでに顔つきから心構えまで変わるものかと、さわやかな驚きを覚える。

 今年のウィンブルドンが始まる前、今回女子ダブルスの準決勝まで勝ち残った青山修子(近藤乳業)という選手を知っていた人は、かなりのテニスファンだろう。ダブルスランキング60位、シングルスランキングは274位。現在25歳だが、シングルスでのグランドスラム出場経験はなく、ダブルスでは今大会までに4度経験しているものの、今年の全豪オープン初戦突破が唯一の勝ち星である。
 ジュニア時代にも目立った戦績は無く、「ジュニアの大会があるということもよく知らなかったし、海外で試合をするという発想すら無かった」と言うほど、華やかな舞台とは無縁だった。地道な努力が花開き、特にダブルスで頭角を現し始めたのは早稲田大学進学後。在学中に国内のITF大会(下部大会)優勝などの実績を残し、2010年にプロに転向した。

 それでもプロ転向時は「グランドスラムなんてすごすぎて、自分が出るなんて全然イメージできなかった」と言う。そんな彼女に訪れた最初の大舞台は、11年に予選を勝ち上がって出場したウィンブルドン。初戦で破れはしたものの、サラ・エラーニ/ロベルタ・ビンチ(ともにイタリア)という強豪ペアとフルセットの接戦を演じたことが、進む道を信じる一つの契機となった。

 このことにも象徴されるように、ウィンブルドンとは決して浅からぬ縁を感じている。「初めてグランドスラムで戦うことができたのもここだし、昨年もラッキールーザー(本戦に欠場が出た場合に繰り上がりで出場する選手)として会場には来ていた。一番なじみ深い場所」と言うように、3年連続で“テニスの聖地”に足を踏み入れてきた。それでも154センチと小柄で控え目な青山は、会場で目にしても、ともすると選手ではなくファンと勘違いされそうだ。
 そういえば、昨年こんなことがあった。ラッキールーザーとしてウィンブルドン入りしながらも本戦に出られなかった青山は、会場を去る際にわざわざ記者やカメラマンのところに足を運び、「出られなかったので、これで失礼します」と頭を下げたのだ。律儀で礼儀正しく、義理堅い。峻烈な勝負の世界に生きる者とは思えない、柔らかな空気をまとった女性である。

 シャネル・シーパーズ(南アフリカ)と組んで出場した今大会の序盤においても、青山の印象は一年前と変わらなかった。初戦で第9シードを破り、2回戦も勝った後の会見では、集まった日本人記者の多さに明らかに戸惑っている様子だった。グランドスラムの3回戦進出を果たしたことに関しても、「正直……実感として……あるような、ないような」とこわばった笑みを見せるばかり。
「変なことを言ってはいけないとか思ってしまって…」
 そう苦笑する表情は、試合中より緊張していた。

 その一方で、選手として積み重ねてきた実績が、コート上での彼女を一回り大きく成長させていた。今年の全豪オープンでは初戦で第11シードを破ったものの、2回戦でワイルドカードのペアに敗れている。「全豪の時はグランドスラム初勝利だったので、そこでうれしさが爆発した。でも今回は、(勝っても)次の試合に向けて冷静な自分がいた」と振り返るように、過去の苦い経験が今回の戦いに生きている。昨年8月にWTAツアーでダブルス初優勝、今年3月に2つ目のタイトルを獲得したことも、連戦を戦う上での貴重な経験になったろう。
「1つずつ階段を上がって、たどり着いたところがここという感じ。本当に一試合一試合やってきた結果なので、そんなに先を見過ぎずに、次の試合に集中します」
 そう口にする姿勢は謙虚そのものだが、それらの言葉の背景には、自分の信念を貫くある種の芯の強さがあった。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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