外国人記者に聞くW杯ブラジル開催の懸念=コンフェデ杯で露呈した運営面の不安
コンフェデ杯優勝もW杯へ不安絶えないホスト国
ブラジルの優勝で盛り上がりを見せたコンフェデ杯であったが、課題は山積み。国民の不安はデモという形で噴出した 【Getty Images】
その傍らで、14年ブラジルW杯開催に伴う汚職や公費無駄遣いに反対するデモは加熱する一方だった。日本対メキシコ戦が行われた22日のベロオリゾンテでもデモ隊の行動がエスカレート。道路が封鎖され、交通に支障が出る事態に陥った。デモ隊と治安部隊が衝突し、負傷者が出た開催地もあったようだ。
「来年のW杯は12会場(リオデジャネイロ、サンパウロ、ブラジリア、フォルタレザ、サルバドール、レシフェ、マナウス、ナタール、クイアバ、ベロオリゾンテ、クリチーバ、ポルトアレグレ)で行われる。当初予定では1年前の時点で大半の施設が完成することになっていたのに、実際は今回のコンフェデ杯で使われた6会場(リオデジャネイロ、ブラジリア、フォルタレザ、サルバドール、レシフェ、ベロオリゾンテ)しかできていない。その6会場も完全に工事が終わっているのはリオデジャネイロのマラカナンくらいで、ほかのスタジアムは未完成の部分が少なくない。メディアも国民も猛烈に批判しているので、1年後には滞りなくできるとは思うが、こういう遅れが出ているのは政治家がきちんと計画をせずに公金で私腹を肥やしているから。ブラジルという国はそういう問題が起きがち。市民が怒るのも当然だと思う」とベロオリゾンテの日刊紙「Jornal Hoje Em Dia(ジャーナル・ホジェ・エン・ディア)のビニシス・ラスカサス記者も神妙な面持ちで語っていた。
後利用、アクセス……スタジアムは問題山積み
「現在の建設状況も気になるが、スタジアムの後利用も気がかり」と指摘するのは、1986年メキシコ大会から7回連続でW杯を取材し、アルゼンチンの日刊紙「Diario Jornada(ディアリオ・ジョルナーダ)」に寄稿するマドリー在住のアルゼンチン人記者、セルヒオ・レビンスキー氏だ。
「4万2000人超収容のマナウスにはプロチームがないし、7万人収容のブラジリアにしても3部リーグのクラブがあるだけ。そんな地域に巨大スタジアムを作っても町の財政負担が重くなるばかりだ。わたしの母国アルゼンチンで78年に開かれたW杯を振り返ってみても、6会場のうちコルドバとメンドーサ、マルデルプラタの3会場が新設だったが、メンドーサはその後30年間使われず、マルデルプラタも1〜2試合が行われたのみ。02年日韓大会でも10年南ア大会でも同じような地域がある。ブラジルもわざわざ12会場で開催する必要はなかった。8会場くらいが適当だったのではないかと思う」と痛烈に疑問を投げかけている。
開催地が12になったのは、ブラジルサッカー連盟のリカルド・テイシェイラ前会長の曖昧なスタンスが原因だと見る向きもある。
「ブラジル27州に対して八方美人の態度を取り、開催地を絞り切れなかった。今回のW杯開催にお金を使いすぎているというのは間違いなく正論。施設の後利用を含めて、方向性を真剣に考えなければいけない」とリオデジャネイロの日刊紙「Cancer(カンサー)!」の女性記者、アメリア・サビノ氏もズバリ言う。
せっかく作ったスタジアムを積極活用するには、アクセスを含めて使いやすさが求められる。だが、市街地から15キロ離れた山間部にあるレシフェのアレナ・ペルナンブコなどは行きにくさがかなり気になった。「われわれメディア関係者は所定の場所からメディアバスに乗ればいいからスムーズで良かった」とEuropian Press Photo Egency(ヨーロピアン・プレス・フォト・エージェンシー=EPA)のルーマニア人フォトグラファー・ゲべント・ロベルト氏は前向きにコメントしていたが、19日の日本対イタリア戦の時は、夕方の帰宅ラッシュと重なってスタジアムへ着くまでに2時間もかかってしまった。サポーターに至っては試合後、市街地まで戻るのに列車やバスを乗り継いで3時間も費やしたという。ブラジル国内平均2倍もの殺人事件が起きているレシフェで夜中に町をウロウロしなければならないのは重大な問題だ。日本でも宮城スタジアムのように遠隔地にあるスタジアムは常にアクセスの不備が取りざたされる。そのあたりをきちんと整備することも、来年に向けての大きなテーマと言える。