クルム伊達が魅せたテニスの“スリル”――女王に敗れるも得た手応え

内田暁

クルム伊達のテニスに英紙絶賛

クルム伊達は“史上最年長”の4回戦進出ならず。女王に敗れるもらしさを発揮した 【写真は共同】

 当初、ナンバー1コートで予定されていたセリーナ・ウィリアムズ(米国)との3回戦は、前の試合が長くなったため、急きょ、屋根を閉じ照明に照らしだされたセンターコートへ移された。全ての選手にとっての憧れの地であり、2年前にはセリーナの姉・ビーナスを相手にフルセットの大熱戦を演じた“テニスの聖地”。クルム伊達(エステティックTBC)という選手は、やはり何かを持っている。

 今の女王セリーナは、群雄割拠の女子テニス界において、頭どころか身体ひとつ軽く抜け出す存在だ。男子のトップ選手をもしのぐサービスのスピード、左右どちらからでもあらゆる角度に打ち込めるストローク力、そして31歳になっても衰えぬコートカバー能力。先の全仏オープンでも猛威を振るったそれらの武器はウィンブルドンに入っても衰えず、クルム伊達戦を迎えた時点で重ねた連勝は33。今年の3月以降は負け知らずで、この1年間で見ても76勝4敗と驚異の勝率を残している。
 そんな無敵の女王との対戦が決まった時、クルム伊達は「セリーナとは、できることならずっと対戦せずにやり過ごしたかった」と苦笑した。技術と駆け引きを主軸にした繊細なテニスを、豪腕でねじ伏せられることへの恐れが言葉の背景にある。それでも37歳での“再チャレンジ”以降、彼女は高い山ほど笑顔で挑み、苦しい戦いこそ歯を食いしばりながら楽しんできた感がある。

「普通に打ち合っても勝ち目はない。私にしか出来ないテニスを、迷わず徹底的にやるだけ」

 セリーナとの戦いを控え、42歳の“ウィンブルドン史上最年長3回戦進出者”は公言した。
「私にしか出来ないテニス」とは、英国の権威ある全国紙『ザ・デイリー・テレグラフ』が「彼女の頭脳的なプレーは、女子テニスに見る楽しみを運んでくれる」と絶賛した、「古き良き時代」を想起させるプレーにある。そして実際に彼女は、ウィンブルドンのセンターコートで“クルム伊達公子ならではのテニス”を展開し、目の肥えた地元ファンをコートへ引き込みもした。

セリーナも危機感? 観客との一体感

セリーナの攻撃にくらいつくクルム伊達 【写真:アフロ】

 試合は、セリーナのサービスエースで幕を開けた。「私はサービスのコースを読むのが得意だが、セリーナのは分からなかった」とクルム伊達も絶句するしかないサービスは、セリーナの強さを支える絶対的な主柱だ。その後もセリーナは、バックの強打、さらにはセンターにもう一つエースをたたき込み、ラブゲームで最初のゲームをキープする。続くゲームでも、最初の2ポイントを女王が奪取。クルム伊達がろくにボールに触れられずにいる間に、セリーナは6ポイントを連取した。

 クルム伊達が最初のポイントを奪ったのは、この試合通算7本目のポイント。クルム伊達のサービスがセリーナのラケットをたたいたとき、センターコートにつめ掛けた観客から一斉に万雷の拍手が湧き起こった。
 「私が42歳で3回戦に来ていることを分かった上での声援。皆さんテニスをよく知っているし、すごく温かさを感じた」
 ファンの支持を背に受けて、クルム伊達は2度のデュースの末に最初の自身のゲームをキープする。伝家の宝刀・ライジングショットでラリーの主導権を握り、クロスの打ち合いからダウンザラインに打ち込んだフォアのウィナー。さらには素早くネットに詰め、繊細なタッチで相手コートに落とすボレー――理詰めかつ直感的、繊細かつ大胆な42歳の技とスリルに、聖地を訪れたファンは魅了されていた。

 試合開始直後に生まれた、ファンとクルム伊達の甘美な一体感――その濃密な関連性に、セリーナは危機感を覚えたろう。第3ゲームに入るとショットのたびに声を上げるようになり、ナーバスになったためかダブルフォールトも犯してしまう。畳み掛けるクルム伊達は、次のポイントをフォアのウイナーで奪いブレークポイント。試合序盤の主導権争いで、クルム伊達は一歩先んじようとしていた。
 だが、重要な局面を嗅ぎとる嗅覚と、取るべきポイントでギアを上げる能力に関しては、セリーナは他の追随を許さない。女王は、クルム伊達が紡いできた細緻な流れを斧で断裁するかのように、次のポイントで渾身(こんしん)のフォアをコートにたたき込むと「カモン!」の叫びをセンターコートに響かせた。その後も続けざまに強烈なサービスでゲームをキープしたセリーナは、次のゲームではリターンから攻めブレークに成功。試合の主導権を一瞬で奪い去り、第6ゲームでも2本のリターンウィナーを決め5−1とリードした。

 クルム伊達が、この試合最大の見せ場を作ったのは、その次のゲームだ。時速200キロに迫るサーブの跳ね際をたたいてボールを深く返し、早いリズムで相手のペースを奪っていく。圧巻は、2度目のデュースから奪った2つのポイント。セリーナのサーブをストレートに打ち返すとすかさずネットに詰め、返球をフォアのボレーでたたき込む。次のポイントでは、行き詰まる攻防の中から「ここしかない」というタイミングでストレートに切り返し、相手の逆をついてミスを誘った。今シーズン、ここまで86.1%の高確率でサービスゲームをキープしてきたセリーナから、自らのテニスを貫き奪い取った価値あるブレーク。163センチ、53キロの小柄な身体で強大な女王に立ち向かうクルム伊達の勇気と技を、1万を超える観客は巨大なウェーブで称賛した。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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