ザッケローニに必要な「勇気とバランス」=指揮官の決断が左右する日本の未来

宇都宮徹壱

敗因は「コンディション」と「空中戦」?

長友(左)のけがを誘発したのは指揮官のアイデンティティーへの固執だったとも言えよう 【Getty Images】

「(日本は)イタリア戦で力を出し尽くしたこともあり、メキシコよりも疲れが回復していなかった」
「失点については、メキシコの方が空中戦に強かったから」

 メキシコ戦の敗因について、ザッケローニは試合後の会見でこのように言及している。このうち空中戦に関しては、確かに相手の方が優位に立っていたが、2ゴールを決めたエルナンデスの身長は175センチ。栗原とは9センチ、今野と比べても3センチ低い。つまり、単に「高さにやられた」と断じるべきではないだろう(むしろ守備の際の空中戦では、今野の健闘ぶりが光っていた)。最初の失点は、エルナンデスの動きにセンターバックやボランチが捕捉できなかったこと。2つめの失点は、選手交代と3−4−3へのシステム変更により、マークの引き継ぎがしっかりなされていなかったことが原因であろう。

 むしろ私は「メキシコよりも疲れが回復していなかった」ことを、指揮官があえて理由に挙げていたことを問題視したい。確かに、中2日での試合で、その間に移動もあったことを考えると、非常に無理のあるスケジュールであったと言うのは分かる。しかしながら、中2日というのはメキシコとて同じ条件。しかも彼らは、レシフェよりもさらに北のフォルタレーザからベロオリゾンテに移動してきたのである。だからザッケローニは、ここで「疲れが回復していなかった」ことを言い訳にすべきではなかった。

 ここで、この日のメキシコの布陣に目を向けてみたい。第2戦のブラジル戦から、メキシコは日本より1人多い、4人の選手を入れ替えてきた。このうち、長身のヒメネスとサバラは、先の試合ではスタメンからは外れており、明らかに日本対策としての起用だったことが分かる。これに加えて、システムも変えてきている。すなわち、ブラジル戦では4−2−3−1だったのが、この日本戦では4−4−2に変更。ヒメネスとエルナンデスのツートップにして、前の試合ではトップ下だったドス・サントスを右MFで起用。その理由について、メキシコのデラトレ監督はこう語っている。

「(ドス・サントスについては)個人のコンディションも考えなければならないし、適切なポジションで彼の能力引き出し、なおかつ体力のことも考えないといけなかった」
「(ツートップの一角に据えることで)ヒメネスの特徴を変えることになるが、4−3−2−1、または4−3−3でも彼を生かすことが可能だ」

 つまりメキシコは、選手のコンディションや相手の特徴に合わせて、システムや選手起用に変化を加えても、それなりに機能するチームなのである。特定のシステム、特定の選手に依存せざるを得ない日本とは、この点が最も違っていると言えよう。その意味で、デラトレ監督は非常にいいチーム作りをしているように思えるのだが、W杯最終予選でなかなか勝てないためか(6試合終了時点で1勝5分)、メキシコ本国ではあまり評判がよろしくないようだ。メキシコの代表監督は、本当に大変な仕事なのだなとつくづく思う。

敗北を招いたアイデンティティーへの固執

「日本を応援している」という謎の集団。今大会の日本が、多くのブラジル人の心をつかんだことは忘れてはならない 【宇都宮徹壱】

 さて、このコンフェデ杯の総括については、また稿をあらためて論じることにしたいが、取り急ぎ、日本代表の成果と課題について端的にまとめると、以下のようになる。

【成果】
チームとしての方向性が決して間違っていなかったことが(特にイタリア戦で)ある程度証明できたこと。

【課題】
現状のチームでは限界があること。欧州の強豪相手に善戦できても、今のままではワールドカップ(W杯)本番のグループリーグで確実に勝ち点6を積み上げられるか疑問。

 ゆえに今後のテーマは、
(1)プレーの精度を上げること
(2)選手層を厚くしてチーム内の競争を高めること
(3)特定の選手だけでなくチーム全体で経験を積むこと
以上3点に集約されると考えている。(1)については、現在の選手のレベルを考えれば、それほど心配はしていない。問題は(2)と(3)。これらについては、指揮官の考えによって大きく左右されるからだ。

 メキシコ戦の会見で、ザッケローニがあまりにも「休養が足りなかった」とか「体調が整わなかった」といった発言を繰り返していたので、「それならコンディションが良い控えの選手を積極的に起用する考えはなかったのか」と質問してみた。その回答はこうだ。

「先発は3人ほどイタリア戦から代わった。チーム全体を変えるとアイデンティティーを変えてしまうことになる」

 なるほど。とはいえ、選手のコンディションよりもアイデンティティーに重きを置いたがゆえに、結果として長友のけがを誘発したと言えるのではないか。そして、このアイデンティティーへの固執こそが、メンバー固定によるチームの硬直化を招き、戦術のオプションのなさや采配の迷走につながっているように、私には思えてならない。この状況を打破するために、指揮官に求められるものは2つ。すなわち、限界を迎えた現状のチームをいったん壊すだけの勇気と、そこから新しい戦力を吸い上げて再構築するバランスである。そう、まさに「勇気とバランス」だ。

 ザッケローニがずっと提唱し、チームに求めてきた「勇気とバランス」。それは今まさに、他ならぬ指揮官自身に求められているのではないか。

<了>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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