長友佑都、イタリア戦で見せた誇りと意地=再確認した日本が目指すべき方向性

元川悦子

デ・ロッシからユニホーム交換の申し出

デ・ロッシ(16番)と抱き合いながら健闘をたたえ合う。その後、ユニホーム交換の申し出もあった 【Getty Images】

 結局、壮絶な打ち合いは4−3でタイムアップの笛。敗戦という結果に、長友はしばらくピッチ上に座り込んだまま動けなかった。シュート数は12対17、ボールポゼッション率も45パーセント対55パーセントと数字的にもアズーリを上回った。にもかかわらず、勝利は自分たちの手からこぼれ落ちた。なぜ勝ち切れないのか。ブラジル戦では感じなかった悔しさが心の中に湧いてきて、どうにも感情をコントロールできなかった。

 デ・ロッシからユニホーム交換の申し出があったのはその矢先の出来事だ。長友は快く応じるとともに「本当に強かった」という彼の言葉に心からの喜びを覚えた。

「僕らが大したことがなければユニホーム交換もしたくないと思う。向こうからユニホームが欲しいと思ってもらえたのは素直にうれしいし、日本を認めてくれた証だと思います。他の選手1人ひとりにも『本当に素晴らしいチームだ』『強かった』と言ってもらえた。僕らが勇気を持ってチャレンジしたからこそ、そういう試合ができた。来年のW杯に向けて目指すべき方向性が見えたのも大きかったですね」と長友は目を輝かせた。

 彼が言うように、イタリア戦の日本は効率いいパス回しから、選手の個性を出しつつ攻めるという本来の特徴をよく押し出していた。日本が中3日、イタリアが中2日というフィジカル的なアドバンテージはあったにせよ、主導権を握れたのは確かだ。「イタリア相手にも回せるんだなというのは自信になったし、相手にとって怖いビルドアップ、パス回しができたと思う。意味ないパス回しじゃなくて効果的なボール回しができたんで、攻撃陣はさすがだなと感じました」と今野も前向きに語っていた。

 ただ、それだけ内容のあるサッカーをしていても勝てなかったのは厳然たる事実だ。その要因について、長友は「最終的な精度の問題」とズバリ指摘した。「僕らはあれだけチャンスがあったのに決められていない。でもイタリアは少ないチャンスをしっかり決めてくる。そこが勝ち癖なんでしょうね」と彼は語気を強めた。

代表60試合目でアズーリと対戦

 昨年10月の欧州遠征でブラジルに0−4で敗れたときも「やっぱり違いはペナルティーエリアの中の最終的な部分だなと。僕らがプレッシャーに行っても誰1人慌てる選手はいないし、つねに冷静で周りの状況判断ができる。これがトップなんだなとあらためて思いました」と話していた。そのフィニッシュの部分をわずか1年間で劇的に改善することは難題に他ならないが、それを少しでもやらなければ、今回のコンフェデ杯のようにグループリーグ敗退を強いられる可能性も少なくない。10年南アフリカW杯経験者の内田も、「前回のベスト16より上に行かないと『失敗』ってことになる」と強い責任を口にしたが、その高い目標を達成するためにも、難しいテーマに真っ向から挑むことが必要になってくるのだ。

 守備面ではイージーなミスを極力減らし、失点を与えないことを徹底していくしかない。ブラジル、イタリアに合計7失点しているチームが、1年後のブラジルW杯で上位躍進を果たそうというのは到底無理な話だ。アルベルト・ザッケローニ監督も「FKからの1失点やオウンゴールはどの試合でも見られること。細かいミスを来年に向けて直していかなければならない」と改善点を強調していた。

 長友自身は「攻守両面で個人能力を高めることの重要性」を6月4日のオーストラリア戦(埼玉)でブラジルW杯出場権を獲得した時から口が酸っぱくなるほど言い続けてきた。そうすることによって、フィニッシュの部分も、守りのミスも間違いなく減る。ほんのわずかな隙も見逃さないイタリア人選手たちと、日々プレーできるアドバンテージをより積極的に生かすことで、自分をもう一段階上のレベルに飛躍させられる。真剣勝負のイタリア戦を力いっぱい戦ったことで、彼はそう確信したのではないだろうか。

 08年5月のコートジボワール戦(豊田)で初キャップを飾ってから60試合目となったアズーリとの対戦は、長友にとってエポックメイキングな出来事だったと言っていい。イタリアに対して日本人の誇りを示し、日本代表の進むべき道を確かめられたのは、非常に大きな財産だ。心を激しく揺さぶられた貴重な経験はさらなる進化の糧になるだろう。

 さしあたって22日のメキシコ戦(ベロ・オリゾンテ)はその試金石となる。すでに1次リーグ敗退を強いられた両者による消化試合だが、日本にとっては重要な世界トップとの対戦の場に他ならない。イタリア戦で得たものをコンフェデ杯ラストマッチで出しきり、1年後の成功へとつなげてもらいたい。

<了>

2/2ページ

著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

新着記事

スポーツナビからのお知らせ

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント