日本代表の「勇気」が試されるとき=コンフェデ杯通信2013(6月17日)

宇都宮徹壱

ブラジルでの大規模なデモについて

イタリア戦前日のレシフェの天候は、晴れ時々雨。イタリア戦の時間帯も雨となる可能性はある 【宇都宮徹壱】

 レシフェ滞在3日目。この日、コンフェデレーションズカップ(コンフェデ杯)の試合はなし。ただし、翌19日に当地で行われる日本対イタリアの前日会見および前日練習があったので、何かと慌ただしい一日となった。この日の取材について触れる前に、まずは現在、ブラジルで沸き起こっている反ワールドカップ(W杯)デモについて言及しておきたい。

 すでに日本でも報じられているように、デモはコンフェデ杯の開幕戦が行われたブラジリアのみならず、サンパウロやリオデジャネイロといった大都市にも飛び火している。ここ数日、現地のテレビでもこの事態をトップニュースで伝え、長い時間を割いて現場の様子を伝えている。私はポルトガル語はさっぱり分からないが、それでも空撮映像で大通りに大群衆がひしめきながらデモ行進している様子を見て、事態が尋常ならざることだけは十分に理解できた。ただ、ここで留意しなければならないのが、今回のデモのきっかけはコンフェデ杯やW杯ではなく、地下鉄やバスなどの公共機関の料金値上げだったことだ。

 これは現地在住の方から聞いた話だが、ブラジルという国はもともと公立の学校をはじめ公共サービスはそれなりに手厚いサポートが施されていたという。それだけに、国内の経済状態が失速傾向にあり(そう、「好景気に沸くブラジル」というのは、いささか古い話なのである)、富める者と貧しき者との格差がこれまで以上に鮮明になったところに、いきなり公共料金値上げとなったことが国民の反発を買うこととなった。その延長線上として「そもそもW杯を開催する必要があったのか」「スタジアムに莫大な費用をかけて、我々の生活が犠牲になるのは納得できない」という議論が後付けされ、各開催地でのデモにつながったと見るべきなのである。

 もっとも「流血の事態は回避されるのではないか」という見方が、当地では主流のようだ。それは、ブラジルの歴史を見れば明らかである。さすがに国家として独立した際には、それなりの軍事的衝突はあったようだが、1985年の軍政から民政の以降は南米の他国に比べて穏やかに行われている。また、彼らが最後に戦争を経験したのは19世紀(1864年〜70年)の「パラグアイ戦争」であり、20世紀の両世界大戦に直接的に関与することもなかった。今回のデモがどのような展開を見せるか、現時点では定かではない。それでも、こうした歴史的な背景から考えるに、コンフェデ杯が終わるころには、いったん収束している可能性は十分にあり得ると考える。

今こそ問われる「勇気とバランス」

雨の中、最後のトレーニングに励む日本代表。イタリア戦では、何より彼らの「勇気」が見たい 【宇都宮徹壱】

 コンフェデ杯の妙味は「思わぬ出会いの場」であったりすることだ。これまで日本代表を率いた外国人監督は6人いるが、そのうち3人がコンフェデ杯で自分の祖国との対戦を果たしている。すなわち、01年大会でフランスと対戦したフィリップ・トルシエ。05年大会でブラジルと対戦したジーコ。そして、今大会でイタリアと対戦することになるアルベルト・ザッケローニ。意外と言及されていないが、日本はアジア最多のコンフェデ杯出場国である。加えて、歴代日本代表を率いた外国人監督は、いずれもサッカー先進国の出身。それゆえ、こうしたチャンスは往々にして起こり得るといえようが、それにしてもかなりの偶然を含んでいるようにも思えてならない。

 当然ながら、そうした外国人の日本代表監督は、母国のメディアからいろいろと辛らつな質問を受けることになる。この日の前日会見もイタリアメディアからも、そうした類の質問が相次いだ。いわく「イタリアはザッケローニのことをあっさりと忘れてしまったと感じているか」「日本ではプレッシャーを受けているか?」「(試合当日は)イタリアの国歌を歌うか、それとも日本国国歌を歌うか?」などなど。私は最近のイタリアサッカーについて、それほど詳しいわけではない。それでも、どうもかの国のメディアのザッケローニに対する接し方を見ていると、すでに旬を過ぎてアジアに出稼ぎに来ている監督を揶揄(やゆ)するような空気を現場で感じて、何とも腹立たしい気分になってしまった。

 確かに私は、ブラジル戦の結果を踏まえて、ザッケローニの采配に批判的なコラムを書いた(6月16日掲載「完敗招いたザックに3つの提案」)。とはいえ、やはりわれわれの代表監督が、このような扱いを対戦国のメディアから受けているとなると、「ザック、こいつらを見返してやろうぜ!」という想いのほうが強くなる。と同時に、日本の選手たちにもぜひ、ブラジル戦で見失ったものを、このイタリア戦で取り戻してほしいと思う。それは、指揮官がことあるごとにテーマとして掲げてきた「勇気とバランス」の「勇気」である。

 思えばブラジル戦は、「バランス」を重視するあまり、結果として「勇気」がないがしろにされてしまった感が強い。明日のイタリア戦は、確かに結果が求められる試合ではある。しかし私は、それ以上に、日本代表の「勇気」を見てみたい。なぜなら、「勇気とバランス」が実現して初めて、このチームが最大限に発揮されると信じるからである。ザッケローニ監督率いる日本代表の底力が、このイタリア戦で見られることを信じたい。

<了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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