連敗した日本で吉田麻也が担う重要な役割=自信とこだわりを胸に日本の壁となれるか

元川悦子

「セットプレーでやられたのは腑に落ちない」

吉田はセットプレーからの失点が続く現状に落胆を隠せず、悔しさを吐露した 【Getty Images】

 立ち上がりの3分、ブルガリアのFWスパス・デレフが前線でボールを持ったところに栗原勇蔵と吉田麻也が挟んで奪おうとした。その吉田のプレーを韓国人主審はファウルとみなし、ペナルティーエリア左外側という相手にとって絶好の位置でFKが与えられた。キッカーはPSVやフラムで活躍してきた名手スタニスラフ・マレノフ。彼の目の覚めるような無回転ブレ球シュートはGK川島永嗣の右手をかすめ、ゴールへと吸い込まれた。

 2014年ブラジルワールドカップ(W杯)出場が決まるはずだった3月26日のアジア最終予選・ヨルダン戦(アンマン)で、アーメド・ハリルとの1対1にアッサリと敗れ、致命的な2点目を許すきっかけを作った吉田としては、6月4日に迫った大一番・オーストラリア戦の前哨戦と位置づけられたこの試合にかける思いは相当強かっただろう。その出はなをくじかれる開始早々の失点に落胆は隠せない。「ずっと続いている課題の1つであるセットプレーの守備でやられてしまったのはちょっと腑に落ちない」と本人も悔しさを吐露している。

3−4−3への挑戦、吉田の印象は

 それでも気を取り直し、2011年11月のアジア3次予選第5戦・北朝鮮戦(平壌)以来の3−4−3へのチャレンジに集中した。ザッケローニ監督の3−4−3は攻撃的色合いが強い。「真ん中の自分が入っていたポジションだけがセンターバック(CB)で、今ちゃん(今野泰幸)と麻也のところはサイドバック(SB)と考えると監督も言っていたから、実質CB1人という感覚でやらないといけない。SBになる2人が前に絡んでいかないと攻撃的な3バックは機能しない」と栗原も語っていた通り、吉田は日本代表やサウサンプトンで主に担っているカバーリング役ではなく、攻撃の起点となる仕事をより強く求められた。

 しかし、相手の対面にはFKを決めたマレノフがいる。彼がブルガリアのキーマンであることは日本チームの共通認識。吉田もその前にいる内田篤人も当然のごとく警戒感が強くなる。3バックは、DFの横とウイングバック後ろのコーナー付近にスペースが空きがちで、そこを突かれたら得点に直結する恐れがある。そのため、それが気になる内田は思い切って前に行けないし、吉田も外へスライドすることに意識がいき過ぎる。結果として後ろに選手が余り、前線は数的不利という状態が目立つことになった。

「守備のスライドは慣れればやれるんじゃないかと思った」と今野のように前向きにコメントする選手もいたが、吉田は「守備・攻撃ともに多少のちぐはぐ感があった」とどうも歯切れが悪かった。サウサンプトンで痛めた腹筋と股関節痛の状態も万全でないことから、この日は前半45分だけで交代。後半はベンチからチームメートの巻き返しに期待するしかなかった。

大目標を前にいら立つチーム

 慣れた4−2−3−1に戻してからの日本は前半より連動性が出てきた。とりわけ2列目に清武弘嗣、香川真司、乾貴士の3人が2列目に並んだ後半20分過ぎまでの攻撃陣は流動的で、良いリズムで相手をかく乱していた。アルベルト・ザッケローニ監督の強調する「インテンシティー(回転数)」が感じられたのはこの時間帯だけだったともいえる。最初から最後までこの布陣で戦っていれば、得点も生まれ、オーストラリア戦への手ごたえも得られたかもしれない。

 だが、指揮官は本田圭佑の合流を視野に入れ、香川を左サイドに置く形も確認しておきたかったのだろう。中村憲剛投入の狙いはそこにあったのではないか。けれどもこの直後、再びリスタートから長谷部誠がオウンゴールを与えるという最悪のシナリオが待っていた。ブラジルW杯欧州予選B組で首位・イタリアと同じ総失点4(消化試合数はブルガリア6試合、イタリア5試合)という堅守を誇る相手から2点以上を奪うのは至難の業だ。0−2になったところで試合の行方は決まったといっても過言ではない。

 これで3月のヨルダン戦に続き2連敗。3次予選で北朝鮮、ウズベキスタンと続けて黒星を喫したことはあったが、あの時点ではすでに最終予選進出が決定済みで試合の重要度が低かった。ブラジルW杯の切符獲得という大目標を前に足踏みを強いられている今回とでは状況が大きく異なる。日頃冷静なザック監督が試合終盤に声を荒げて怒りを表現し、どんな時もメディアに丁寧な対応を心掛けてきた長友佑都がペン記者のミックスゾーンを素通りするほど、チーム全体にいら立ちが見て取れる。2010年秋のザック体制発足後、アルゼンチンに勝ち、2011年アジアカップで優勝し、欧州遠征ではフランスを撃破するなど順調な歩みを続けてきたチームが、かつてないピンチに直面しているのは間違いない。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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