クルム伊達、全仏完敗も笑顔の理由=結婚で心境に変化も、変わらぬ勝負師の姿

内田暁

“普通の幸せ”を求め引退したはずが……

全仏オープンの女子シングルスで1回戦敗退となったクルム伊達。しかし試合後の会見では柔らかな表情を見せた 【Getty Images】

 全仏オープンの初戦で、クルム伊達公子(エステティックTBC)が3年前の準優勝者のサマンサ・ストーサー(オーストラリア)に0−6、2−6で敗れた後の、会見でのことである。海外メディアの記者がクルム伊達に、極めてストレートな質問を投げかけた。
「今のあなたは、楽しみのためにテニスをするのか? それとも今もまだ、勝利への情熱があるのか?」
 
 その問いはもしかしたら、完敗後の会見にもかかわらず、クルム伊達の表情が柔らかなことから生まれたのかもしれない。質問を受けた者は、笑顔を織り交ぜながら答えた。
「まだ情熱はあります。でも今は何より、テニスが楽しい。90年代にプレーしていた時は、常にストレスしか感じられず、何もかもが楽しくなかった。東京の空港に向かう時はいつも、『パスポートが期限切れになっていないかな……』なんて思っていた。そうすれば、海外に行く必要がなくなるから。もちろん、期限が切れていないことくらい分かっている。でも、そう考えずにはいられなかった。飛行機の中で泣いたこともあった」
 インターネットの普及も、世界的な日本食ブームも起こる前の時代である。20代の伊達公子が、深い孤独の内で涙する姿が見えた気がした。

 そんな孤独から抜け出すため、彼女は25歳にしてラケットを置く決断を下す。テニスを辞め、普通の生活を楽しみ、ドイツ人のミハエル・クルム氏と結婚もした。平穏を追い求めた末に手にした、“普通の幸せ”だったはずである。だがこの結婚が、彼女を再び“普通ではない世界”に引き戻したのだから、運命とは不思議だ。
「結婚してから、自分を変えようと思った。夫が私を変え、私も夫を変え、そして人生は変わった。今はテニスを楽しめていて、だからこそパッションもある」

復帰後のクルム伊達を支えた夫の存在

 最初の引退から、17年。伊達公子はクルム伊達公子に、「ライジングサン」の名を持つアジアの“新鋭”は、42歳のツアー最年長者になる。今大会は、クルム伊達として迎える4度目の全仏オープンだった。
 3年ぶりの勝利は成らなかった。だが敗戦後にまとう空気は、過去2年とは大きく異なっている。敗れた悔しさが無いわけでは、決してないだろう。だがそれでも時折笑顔を見せるのは、今季のクレーシーズンの位置づけが、彼女の中で明確だからだ。
 ケガなく、5月の欧州を乗り切ること――それがクルム伊達の最大の目標だった。
 彼女がそのように考える根拠は、ケガにケガを重ねた昨年の反省にある。昨年のこの時期に慣れないクレーの試合で負傷し、その痛みをごまかしプレーし続けた代償は、半年以上にも及ぶ「勝ち星なし」という苦境となってクルム伊達を苦しみ続けたのだった。

 実は今年もクルム伊達は、腰に痛みを抱えたまま5月の赤土の季節を迎えている。だが今年の彼女は、昨年と同じ轍は踏まなかった。このシーズンにシングルスでの出場は取りやめ、ダブルスのみで調整をして全仏に挑んだのだ。言ってみれば、体調管理と、試合で得られるランキングポイントを天秤にかけた上で、前者を選んだのである。

 このように、融通を利かせて「クレーを捨てる」という道を選べたのも、あるいはクルム伊達が、夫のミハエル・クルム氏から受けた影響かもしれない。
「私は何事も、事前にきっちり決めて準備しないと気が済まない性格。でも夫はいつも私に『もっとリラックスしなさい』と言っていた。全てが予定通りでなくても良い、時には試合前にワインを飲んだって良い……そんな風に夫は言ってくれた」
 かけがえのない人生の伴侶が、張り詰めすぎた完璧主義者の心の弦を、少しばかり緩めてくれた。そうして生まれた“遊び”部分を、今回は全仏を含めたクレーシーズンに充てたのだろう。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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