米国帰りの五十嵐亮太に復調の兆し=鷹詞〜たかことば〜

田尻耕太郎

4年ぶりに日本球界復帰を果たした五十嵐亮太。期待されながらもファーム調整が続くが、調子は上向いてきている 【写真は共同】

 5月は初夏である。風薫る爽やかな季節のはずが、九州・福岡では気温30度を超える日がもう何度かあった。今年も、暑い夏になりそうだ。
 福岡ソフトバンク2軍本拠地の雁の巣球場の正面入り口には早くもかき氷屋が出店している。すでに夏本番モード。その灼熱(しゃくねつ)の中、グラウンドには2軍で調整を続けている五十嵐亮太の姿があった。かつて「球界のキムタク」と呼ばれた甘いマスクは日焼けで真っ黒。そして練習を終えて引き揚げてくると、少し長めの髪の毛からはまるで水を被ったように汗がしたたり落ちてくるのだった。
「いやー、暑いですね(苦笑)。でも去年の今頃も同じでしたよ。3Aのラスベガスからメジャーに昇格して、向かった先が(遠征先の)テキサス。とんでもなく暑かったなぁ」

4年ぶりに日本球界復帰も結果残せず

 五十嵐は昨年まで3シーズンを米国で過ごした。渡米前に12年在籍したヤクルトで507試合に登板し、04年にセーブ王(37セーブ)、09年には29ホールドをマークした右腕は海外FA権を行使してニューヨーク・メッツに移籍。初めの2年間はメジャーリーガーとして計79試合に登板した。が、昨年の多くはマイナー暮らし。しかも3球団を渡り歩いた。まずパイレーツとサインを交わしたが、開幕前に戦力外となりブルージェイズとマイナー契約。メジャーに昇格したのが記憶をたどった1年前、5月25日のことだった。しかし、すぐに契約を切られてFAを選択。「(ブルージェイズで)マイナー落ちの選択もあったけど、自宅のあるニューヨークに戻って契約を探った。野球浪人も覚悟した」が、ヤンキースと契約(5月29日)。マイナー契約だったが、一時はメジャーに昇格してピンストライプのユニフォームで2試合に投げた。

 今シーズンは4年ぶりの日本球界復帰である。ソフトバンクの入団会見では「今も球速は変わっていない(昨季マイナーで99マイル=約159キロを記録)し、コンディションも問題ない。自分のすべてをお見せしたい」「米国でカーブやカットボールなど変化球も磨いてきた」など揺るぎない自信を口にした。球団の期待度はもちろん高く、3年最大6億円(推定)の大型契約を結び、ファルケンボーグとともに守護神候補として期待を寄せた。

 しかし、開幕からの成績は27日終了時点で8試合0勝1敗0セーブ1ホールド、防御率4.32。黒星を喫した4月7日の北海道日本ハム戦(札幌ドーム)では、セットアッパーとして2対0の8回に登板したが、中田翔に痛恨の逆転3ランを浴びた。打たれたのはど真ん中のカットボール。「4番に投げる球じゃない」と自分を責めた。

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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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