篠塚和典が魅了された素顔の長嶋茂雄「私もミスターの1ファンだった」

構成:スポーツナビ

言葉で表せないけど…本当にカッコよかった

篠塚氏が語った実寸大の長嶋氏は常にカッコ良く、スターだった=1994年6月14日撮影 【写真は共同】

――現役時代、練習中やベンチの中で、長嶋さんとはどんなお話をされていたのですか?

「ベンチにいても声を掛けられず、ミスターから声を掛けてもらうのを待っていました。中畑(清)さんは別でしたけどね(笑)。練習していても手取り、足取り教わりたいという気持ちは私に限らず、誰もが持っていました。
 私は練習をしていても、ミスターを遠目で追いかけていました。ミスターの姿は言葉で表せないけど……本当にカッコ良かった。もっと多く見ていたいと思っていました」

――篠塚さんは長嶋さんが監督になった1期目と2期目、ともに選手として指導を受けましたが、この2つの期間で長嶋さんの指導に変化はありましたか?

「第1次政権ではまだ現役を離れて間もなかったし、体も本当によく動いていました。第2次政権ではむしろコーチに任せていましたね。
 第1次政権の時は、選手に直接、ガツンと言うこともありましたが、第2次政権の時は選手に直接怒ることはありませんでした。当時(第1次政権)はノックをしてもらった時でもケンカをしているかのように、戦いながら受けていました。そういった厳しい練習が気持ちを強くしていくやり方だったと思います。しかし、第2次政権時は、1次のようにケンカみたいなノックをやったら、選手がシュンとなってしまうという気配を感じていたのだと思います。だから、そこらへんの指導はコーチに一任されていましたね。

 第1次政権では、試合中でも感情を露わにして選手と話をしていたこともありましたが、第2次政権ではそういったことはなかったですね。むしろコーチに対して言うことが多かった。私も第2次政権の途中からコーチになりましたが、打てない選手がいたりすると、むしろ私に『あいつ、どうにかならんのか』『打たせろよ』と、いろいろ言われました。私の場合、言いやすかったというのもあったと思いますが……」

――長嶋さんは怒るとどんな感じだったのですか?

「特に第1次政権の時は動かない火鉢とか、いろいろなものを蹴っ飛ばしていましたよ。蹴っ飛ばして親指をねん挫したりもしていましたね。あと、ベンチ椅子を急に蹴っ飛ばしたりするので、監督の近くには若手選手が座っていたのですが、失点されたり何か気に入らないことがあると、『くるな、くるな』と背もたれから離れていたもんです。ただ、ミスターは常にカメラの位置は分かっていた、意識していた人だから、そうすることで、いろいろなことを選手に伝えようとしていたようにも思いますね」

背番号「3」の披露、ファンのために休日で

――長嶋さんはファンサービスも徹底されていましたが、特に驚いたことはありますか?

「第2次政権の時、ミスターが背番号「3」になって、いつお披露目するかって時は、完全にミスターの演出でした。
 私はその時、守備コーチをやっていて、いつジャンバーを脱がそうかと思っていたんですよね。それで、当時FAで移籍してきた江藤(智)への特守のノッカーを、私がお願いしました。ノッカーをすれば、大抵ジャンバーを脱ぐ。だから、江藤の特守を了解してくれた時に背番号『3』の披露はその時になるだろうなとは思っていました。ただ、江藤の特守は絶対に平日にしなかったですね。休日に実施したことにミスターのファンサービスを感じました。休日を選んで背番号『3』を披露。たくさんのファンが見に来られるようにという配慮を感じました」

――長嶋さんはファンの方に楽しんでもらおうといろいろと演出されていたんですね。

「ファンの方だけじゃないですよ。選手に対してもです。
 例えば、特守をやっているとします。時間が経って選手がきつくなってきただろうなというタイミングで、ミスターが特守の場に来るんですよ。大勢の人を引き連れて。大勢の人が見ていると、選手も気持ち的に動くんですよ。そういった演出が本当にうまい方だなと思いますね」

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