bjリーグ発NBA、若き2人の挑戦=富樫勇樹と並里成が抱く日本での葛藤

柴田愛子

期待通りだった高卒新人・富樫

富樫は高卒新人ながら、今季途中から秋田に加入し、米国帰りの力を存分に発揮した 【Photo:(C) Akita Northern Happinets/bj-league】

 bjリーグは2012−2013のレギュラーシーズンを終え、いよいよプレーオフへと突入する。今季はイースタン、ウェスタン・カンファレンスともに、最後の最後まで順位が入れ替わる大混戦となった。また順位争いとともに注目が集まったのが、個人ランキングだ。特にアシスト部門では琉球ゴールデンキングス(以下、沖縄)の並里成(23歳)と、仙台89ERS(以下、仙台)の志村雄彦(30歳)が激しいデットヒートを繰り広げ、最終戦で志村が逆転し、初のアシスト王に輝いた。

 しかし、ランキングの裏で、ある選手がじわりじわりと2人に迫っていたのはご存じだろうか。それは今季途中にアーリーエントリーで秋田ノーザンハピネッツ(以下、秋田)へ入団した富樫勇樹(19歳)だ。米国の高校を卒業後、しばらく実戦から離れていたというが、プロ初戦となった2月2日の試合では40分フル出場。15得点、11アシストのダブルダブルを達成し、鮮烈なデビューを果たす。その後も順調にアシスト数を重ねていったが、ランキングに入るためには160本以上のアシスト数が必要であり、残り2本まで迫ったものの、総アシスト数158本で規定数をクリアすることが出来ず、ランキング入りは果たせなかった。しかし1試合平均6.07本のアシスト数は、トップ3に並ぶ成績で、高卒ルーキーながらも、その能力の高さは期待通りのものであった。

 富樫は全中チャンピオンになった新発田市立本丸中学(新潟)を卒業後、バスケットボールの名門校モントロス・クリスチャン高校に進学した。2011年には日本代表候補にも選出された華々しい経歴を持つ。さらにNBA主催で日本初開催となった「バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ アジア2012」ではアジアトップレベルのジュニア選手の中から見事MVPを獲得し、日本バスケ界のスター候補生として常に注目されてきた。高校卒業後はそのまま米国の大学に進学するかと思われたが、希望に沿う大学からのオファーがなかったこともあり、日本に帰国することとなった。しかし海外でプレーする夢を諦めたわけではなく、再び挑戦するためにbjリーグでプレーすることを選んだのだ。

アシスト2位の並里の目指す夢

 富樫のようにbjリーグでプレーしながら海外挑戦を目指す選手はほかにもいる。今回アシスト王を惜しくも逃した並里成だ。彼もまた米国留学を経験し、米国でプレーする夢を今なお追い続けている。中学時代から注目され、日本のバスケ界を担う逸材として期待されてきた二人。その二人が今、同じbjリーグの舞台で戦っているのだから面白い。

 並里もまたゴザ中学(沖縄)から九州の名門、福岡第一高校へと進学し、ウィンターカップの優勝や大会ベスト5への選出など、輝かしい経歴をもつ。高校卒業後は、漫画家の井上雄彦氏が創設した『スラムダンク奨学金』の第1期生に選ばれ、米国の大学進学を目指し、バスケットボール部が強いことでも知られるプレップスクールのサウスケント校に留学した。1年間の留学期間を終え、大学進学を希望するも、語学の壁が立ちはだかり進学することができず、志半ばで日本に帰国することになった。その後、JBLのリンク栃木ブレックスへ入団するも、同じポジションにNBA経験者の田臥勇太が在籍していたこともあり、ベンチを暖めることが多かった。シーズン終了後、再び米国への挑戦を試みるも、運悪くNBAがロックアウト(編注:すべてのリーグの業務が公的に停止となり、各チームは選手と一切コンタクトを取ることが禁じられ、選手もチームの練習場を使うことができなくなる状態)していたため、無念の帰国。それでも「NBAでプレーしたい」と強く願う並里が、次なるステージとして選んだのが、bjリーグの沖縄だった。

「NBAでプレー経験のある外国人や、他チームの大きい選手にマークにつけたことによって、自分の身体の弱さに気付けたし、もっと高さに対して工夫しなくてはいけないと学べた。bjリーグを選んだことに間違いはないと思っている」と話す並里。しかし、海外でのプレーを目指しているからこそ味わう苦悩や葛藤もあったという。

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