宇佐美が語る競技人生とバレー界への提言=北京五輪代表セッターが引退

米虫紀子

現役最後の試合は堺に1−3で敗れたが、宇佐美はVリーグ特別賞に輝いた 【坂本清】

 長年、バレーボールの全日本代表とV・プレミアリーグで司令塔として活躍し、2009年以降は全日本主将も務めた34歳の宇佐美大輔(パナソニックパンサーズ)が、4月14日、現役を引退した。長い現役生活を締めくくる最後の試合は、V・プレミアリーグの優勝決定戦という最高の舞台だった。しかし、連覇を狙ったパナソニックはセットカウント1−3で堺ブレイザーズに敗れ、宇佐美のラストゲームを優勝で飾ることはできなかった。

 試合後、宇佐美は、「最後は笑って終わりたかった。やっぱり、負けて終わるのはすごく悔しいし、正直言って、もう一回頑張りたいという気持ちもありますが、こればかりは次の道に進むと決めたものですから……」と、現役への未練をのぞかせた。

 それでも、「最後、勝たせてあげられなかったのは自分の力不足というか、僕の力が落ちたのかなと思う。辞めるタイミングなのかなと感じました」と、あえてその未練を断ち切るかのように言った。

 全日本では04年アテネ、08年北京、12年ロンドンと3度五輪に挑戦。北京では念願の出場を果たしたが、アテネと主将として臨んだロンドンでは最終予選で跳ね返された。一方でパナソニックでは3度のVリーグ制覇に貢献。自身が「山あり谷ありだった」というこれまでの紆余曲折(うよきょくせつ)のバレー人生を振り返ってもらった。

沸き上がってくる感謝と心残り

――バレー人生を振り返ってみて、特に強く記憶に残っていることはどんなことですか?

 本当にいろいろなことがありましたからね……。移籍したこと(06年NECブルーロケッツからパナソニックへ)もそうですし、アテネ五輪に出られなかったことも、北京五輪に出たことも。いろいろな節目があって、どれもこれも思い出深いものがあるので、どれか1つを挙げるのは難しいですね。バレーの中でこれだけ良い思いと悪い思い、両方を経験できたのはすごく良かったなと思います。ただパナソニックに移籍してからは、Vリーグで優勝させてもらったし、三冠も取れた。それを目標に移籍したので、良かったなと思いますし、NECに対してはわがままを通させてもらって申し訳ないという気持ちと、感謝の思いがあります。

 今こうやって振り返ってみると、ある意味、移籍が1つの大きな分岐点だったのかなと感じます。当時はもっと早くに次の道に進むつもりでしたが、移籍して環境が変わったことで、もう1度バレーを楽しむことができましたし、それで、一時期離れていた代表にも(07年に)復帰して、五輪にも行かせてもらいましたから。

――移籍が北京五輪出場にもつながったのでしょうか?

 まあでも、北京に行けたのは朝長(孝介、元堺ブレイザーズ、09年に引退)のおかげですよ。あの時のセッターは朝長でした。朝長は人を使うのがすごくうまかった。不器用なりに「僕はこのトスしか上げられません」と割り切っていて、その分アタッカーに頑張らせることができた(笑)。朝長というセッターでチームができ上がっていたんじゃないですかね。

 だから僕は、北京には連れて行ってもらったと思っています。(08年の)五輪最終予選の初戦のイタリア戦は僕が先発して、ああいう形で負けて(セットカウント2−1で迎えた第4セット、24−17から逆転負け)、2戦目もスタートでいかせてもらったけどダメでした。途中から朝長が入って、そこからはずっと朝長が試合に出て、五輪の出場権を取りましたから。五輪本番ではなんとか、と思っていたんですけど、その時にはもう、チームが良い状態ではなかったので……。だから、ロンドン五輪には行きたかったです。

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著者プロフィール

大阪府生まれ。大学卒業後、広告会社にコピーライターとして勤務したのち、フリーのライターに。野球、バレーボールを中心に取材を続ける。『Number』(文藝春秋)、『月刊バレーボール』(日本文化出版)、『プロ野球ai』(日刊スポーツ出版社)、『バボちゃんネット』などに執筆。著書に『ブラジルバレーを最強にした「人」と「システム」』(東邦出版)。

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