柏原竜二、苦難のルーキーイヤーに得た手応え=2時間5分台「僕らが出さないと」
芽生えたエースへの意欲
大学時代はエースの意識がなかったという柏原だが、世界を意識して「エースとして走りたい」という気持ちが芽生えたと語る 【スポーツナビ】
「大学の時は、周りがちゃんと走ってくれれば僕も走れるという感じでエースという意識もなく、逆にエース区間に配置されるのも結構きつかった部分もあったんです。でも社会人になって世界を意識するようになってからは、世界で戦っている人たちが駅伝でもエース区間を走るわけだから、そこで勝負できなきゃ世界へも行けないということだと思って。だからエースとしてそういう人たちと走りたい、という気持ちがすごく大きくなりましたね。社会人になっての最大の目標は世界で走ることだし、藤田さんが経験できなかった五輪など、世界の大舞台で戦うことを意識してやりたい。そのためにも宇賀地(強/コニカミノルタ)さんや佐藤悠基さん(日清食品グループ)にも勝ってもっと上の世界へ行きたいな、とも思うようになりました」
宇賀地、宮脇らとの練習で感じた“差”
「3月の合宿での僕の中のテーマは、宇賀地さんや宮脇(千博/トヨタ自動車)くん、丸山(文裕/旭化成)くんと練習をさせてもらって、自分の価値観をぶち壊すことだったんです。富士通の練習だけではなくバリエーションを増やすためにも、せっかくの機会だから自分がやっていなかったことをあえて体験しても面白いなと思って。他の人がやっている練習を経験したり話をしたりして、どういう風に世界を目指しているのかを感じ、それを自分なりに解釈するのも楽しかったですね」
その中でも大きな収穫は、宇賀地や宮脇との練習で「27分40秒で走るための練習はこういうものなんだ」と実感できたことだった。実際に練習することで出てくる“差”を目の当たりにして「この差を埋めればいけるのか。そのためには何をすればいいのだろう」と頭で考えられたからだ。インターバル練習でのつなぎの時間の短さや、ジョギングのときの走り方まで、いろいろ考えてみる材料は見つかった。柏原は「いろいろ考えたり、工夫したりするのはもともと好きなんですよ」と笑う。
そのきっかけになったのは、高校の時だったという。チームがまったく走れないどん底状態になった時、監督が選手に刺激を与えるために「3週間の練習メニューを自分たちで考えて好きにやっていい」と提案したことだった。
「それで話し合ったら、100メートルを50本やりたいと突拍子もないことを言い出すのもいたからやってみたりして。自分たちで言い出したメニューだからきつくてもやらなくてはいけないし、監督が『そこはやり過ぎだ』と言ってくれれば、何でだろうと考えたし。そういうのが今に役立っているし、非常にありがたい経験でしたね」