柏原竜二、苦難のルーキーイヤーに得た手応え=2時間5分台「僕らが出さないと」

折山淑美

芽生えたエースへの意欲

大学時代はエースの意識がなかったという柏原だが、世界を意識して「エースとして走りたい」という気持ちが芽生えたと語る 【スポーツナビ】

 やっと間に合った元日のニューイヤー駅伝は、つなぎ区間の6区を走り区間4位だった。だがそのおかげで、エースになりたいという気持ちもやっと持てるようになった。

「大学の時は、周りがちゃんと走ってくれれば僕も走れるという感じでエースという意識もなく、逆にエース区間に配置されるのも結構きつかった部分もあったんです。でも社会人になって世界を意識するようになってからは、世界で戦っている人たちが駅伝でもエース区間を走るわけだから、そこで勝負できなきゃ世界へも行けないということだと思って。だからエースとしてそういう人たちと走りたい、という気持ちがすごく大きくなりましたね。社会人になっての最大の目標は世界で走ることだし、藤田さんが経験できなかった五輪など、世界の大舞台で戦うことを意識してやりたい。そのためにも宇賀地(強/コニカミノルタ)さんや佐藤悠基さん(日清食品グループ)にも勝ってもっと上の世界へ行きたいな、とも思うようになりました」

宇賀地、宮脇らとの練習で感じた“差”

 今年は1月から充実した時間を過ごせているという。2月17日に行われた(30キロコースの)青梅マラソン出場を利用してうまく走り込みができた。さらに3月5日から宇賀地と一緒に合宿をさせてもらい、そのまま19日からの日本陸連長距離合宿へ入る形になり、非常の内容の濃い1ヶ月だったとも言う。

「3月の合宿での僕の中のテーマは、宇賀地さんや宮脇(千博/トヨタ自動車)くん、丸山(文裕/旭化成)くんと練習をさせてもらって、自分の価値観をぶち壊すことだったんです。富士通の練習だけではなくバリエーションを増やすためにも、せっかくの機会だから自分がやっていなかったことをあえて体験しても面白いなと思って。他の人がやっている練習を経験したり話をしたりして、どういう風に世界を目指しているのかを感じ、それを自分なりに解釈するのも楽しかったですね」

 その中でも大きな収穫は、宇賀地や宮脇との練習で「27分40秒で走るための練習はこういうものなんだ」と実感できたことだった。実際に練習することで出てくる“差”を目の当たりにして「この差を埋めればいけるのか。そのためには何をすればいいのだろう」と頭で考えられたからだ。インターバル練習でのつなぎの時間の短さや、ジョギングのときの走り方まで、いろいろ考えてみる材料は見つかった。柏原は「いろいろ考えたり、工夫したりするのはもともと好きなんですよ」と笑う。

 そのきっかけになったのは、高校の時だったという。チームがまったく走れないどん底状態になった時、監督が選手に刺激を与えるために「3週間の練習メニューを自分たちで考えて好きにやっていい」と提案したことだった。
「それで話し合ったら、100メートルを50本やりたいと突拍子もないことを言い出すのもいたからやってみたりして。自分たちで言い出したメニューだからきつくてもやらなくてはいけないし、監督が『そこはやり過ぎだ』と言ってくれれば、何でだろうと考えたし。そういうのが今に役立っているし、非常にありがたい経験でしたね」

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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