橋本大地「僕にはプロレスしかない」=“破壊王子”が4カ月ぶりに復帰

ファーストオンステージ

昨年12月24日にサンタさんから痛いプレゼント

4月15日の後楽園大会で約4カ月ぶりに復帰する橋本大地 【写真提供:ファーストオンステージ】

 昨年12月に左腕を骨折し、試合を欠場していた“破壊王子”橋本大地が4月15日のZERO1後楽園大会「Far and Away」で約4カ月半ぶりの復帰戦に臨む。復帰戦の相手はDDTの飯伏幸太。欠場中は何を思っていたのか、いきなりのIWGPジュニア王者を戴冠した“天才”との対戦に何を感じているのか。橋本大地がその心境を語った。

――復帰おめでとうございます。

 ありがとうございます。

――まずは、ケガをした時の状況を教えて下さい。

 昨年の12月24日に、サンタさんから、痛いプレゼントをもらいました(笑)。(佐藤)耕平さんの蹴りだったんですけど、あまりにも強烈で、体ごと吹き飛ばされました。でも、試合中は興奮していたから全然平気で、リングを片付けているときに左腕がジワジワと痛くなってきて。疲れているから、寝てるんですけど、象に足を踏まれる夢とか、火で腕をあぶられる夢を見て起きるんです(笑)。よく、寝る前におしっこをしないで寝ると、夢で何回もトイレ行く夢見ません? それと同じでした。

――それですぐに病院に?

 行きませんでした(笑)。みなさん驚かれるんですけど、約3日放置していました(笑)。痛かった? 笑っちゃうほど痛かったですよ(笑)。でも、いつも痛いんです。うち(ZERO1)のプロレスは特に(笑)。だから、いつもの痛みだと思っていました。

――周りの皆さんの反応はどうでしたか?

 誰も心配してくれませんでした(笑)。唯一、心配してくれたのはルームメイトのジェイソン(ニュー)と(ジョ)キョンホくらい……。ウチの選手や関係者はすごいんです。以前、耕平さんとか崔(領ニ)さんとか若手のころ、指を骨折したらしいんですけど、隣の指とまとめてテーピングして試合したらしいです。痛すぎて、父親(故・橋本真也氏)に言おうとしたら、機嫌悪くて、恐くて言えない。で、沖さん(オッキー沖田・リングアナウンサー)に言ったら「昔の女子プロレスではこうやってた」って。本当は「休む?」って聞いてほしいのに(笑)。そうこうしてるうちに治って、少し経って父親に言ったら、「バカ野郎!ちゃんと言え!!」って、やっぱり怒られたそうです(笑)。

「この感情をリングにぶつけろ」大谷に救われた一言

大谷(写真右)や日高が見守る中で、復帰に向けて順調な調整を続けている 【写真提供:ファーストオンステージ】

――ケガの間、精神的には大丈夫でしたか?

 いえ、骨折と分かってからが大変でした。たくさんの人から「チャリティー試合でケガなんかして」って言われました。すぐ後に決まっていた1月1日の曙戦、新日本さんの1月4日東京ドーム大会を楽しみにしてくれていた方たちからは特に。本当にせっかくチャンスをくれた曙さんや新日本さん、武藤(敬司)さんには申し訳なかったです。
 そんな時に、ある選手に「ケガをするお前もしょっぱいけど、ケガさせた選手がしょっぱい。ウチの会社ならそんなことしたら大変だ」みたいなことを言われました。その一言がどうしても腑に落ちなくて。正直悩みました。プロとして試合に穴をあけてしまった。僕がケガしたことによって、たくさんの皆さんに迷惑をかけた。これは変えようのない事実。その選手が言ったことも、プロとしては正論である。でも、ケガした僕はどう言われてもいい。だけど、僕のせいで、耕平さんやウチのプロレスが否定されるのは、どうなんだろうと。本当に落ち込み、悩みました。

――ケガをした直後に、それは厳しいですね。

 でも、そんな時に、大谷(晋二郎)社長に言われました。僕が出られなくなって、社長にも代打でドームに出てもらうようになってしまって。「スイマセンでした」と謝りに行ったんです。そしたら、「バカ野郎! 何、謝ってんだ。大地やウチの選手がイベント試合だろうが、公式試合だろうが、1試合1試合、一生懸命、全力ファイトしてる証拠だ!胸張って休め!!」って言われました。なぜだか分かりませんが、ケガした後のいろいろな気持ちがワァーって押し寄せて、涙が出てきて。泣いている僕を社長がガバって抱きしめてくれて。
「お前が一番、悔しいよな。でも、大地、これをプロレスに生かせ! お前が持っている、この感情を全てリングにぶつけろ! 橋本さんだって、俺だって、みんなそうしてきた! だから俺たちはプロレスラーなんだ。この素の気持ちこそ、プロレスなんだよ。俺は、今回最強の『代役』を一生懸命してくる。だから、お前は必ず、その感情を出せるリングに戻ってこい」って言ってくれて。正直、この一言がなかったら、僕はリングに戻れなかったかもしれない。本当にそう思いました。

――大谷選手の一言に救われましたね。

 本当にその通りです。自分がやってきたプロレス。信じて練習してきたプロレス。この人に付いてきて良かったと、あらためて本当にそう思いました。

治療期間中は毎朝、父親のお墓掃除

欠場中に体重を10キロ増やし、現在は95キロとパワーも増した 【写真提供:ファーストオンステージ】

――そして治療が始まりました。

 はい。まずは固定して、普通の生活ができるようになるまで、安静にしていました。そしてギプスをしながら、超音波&リハビリを1月下旬からし始めました。

――治療はどこで?

 岐阜の先生にお願いしました。父がお世話になった三澤(威)先生(新日本プロレス公認トレーナー)にお世話になっていたのですが、都内(寮)にいると、どうしてもリングが恋しくなってしまう、というか、やっぱりプロレスラーはリングに上がってナンボなんで、気持ちだけ焦っちゃうんですね。まったく動かないのに、「これはできるんじゃないか」とかって思っちゃう。試合をしているときは、「どう、さぼってやろうか」とか、時々考えちゃったりするのに(笑)。そんな姿を見かねて、会社が「父親の生家である岐阜の地で治療して来たら?」と提案してくれました。

――岐阜は良かったですか?

 全然。ぼくの泊まらせてもらってた家は、父の育ての親と言うべき、柔道のすごい怖い骨接ぎの先生の家なんです。当然、身体を休めて、楽できるかな、なんて思って行ったら大間違い。いきなりホウキを渡されて、「お墓掃除してこい!」って。歩いたら30分くらいかかるところに父の墓があるんですけど、毎朝早朝から掃除してました(笑)。

――微笑ましいですね(笑)。

 でも、みんな優しかったです。お墓掃除前におにぎりを握ってくれる。それを持って掃除に行く。帰って朝ごはん。治療が終わって昼飯。腕に負担かからない練習をして夕食。また治療して最後に晩ごはん。田舎なんで、9時には寝てました。そのご飯の度に、『納豆』10パック分位をどんぶりに入れて必ず出るんです。『納豆』は骨にいいから、と。

――アナログですね(笑)。ウェートアップの秘密は納豆でしたか。

 アナログです。でも、父もケガしたらこうしてたって。だから「どんな科学治療よりも、うちは“橋本式”だ』って言ってました(笑)。練習は休む前と、ほぼ同じか、それ以上のことをしているのに、ドンドン体重は増えていきました(笑)。
 それで、ギブスが外れてきてからは岐阜の違う先生に指導してもらって、リハビリが始まりました。この先生は、蝶野(正洋)さんや(佐々木)健介さんをはじめ、たくさんのプロレスラーを診てくれているんです。ウチの両親が先生の結婚式の仲人をさせてもらったこともあって、非常に良くしてくれました。僕が、いつもお礼を言うと、「これで、少しは橋本さんに恩返しができてるかと思うとうれしい」と一生懸命に指導してくれました。

――ここでも、お父さんの人柄が役立ちましたか。

 本当にそう思いました。今回、ケガをしたことは非常に残念だったり、悔しかったりしたんですけど、人の優しさだとか、たくさんの人に支えられていることを再確認させてもらいました。休んでしまった間にリングを守ってくれたウチの選手たち、治療に専念できる環境をつくってくれた会社、いろいろなアドバイスをくださった先生やトレーナーさん。あと、似合わないのに、「頑張れ」なんて激励メールをくれた(大日本・橋本)和樹。そしてなにより、たくさんの手紙やメールをくれたファンの皆さま。よく、「皆さんのおかげです!」って聞きますけど、今回ほど「ありがたい」と思ったことはありません。

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