“和製イブラ”平山にかかる復活への期待=ブランク乗り越え、けがをする前より強く
度重なる負傷で消えた存在感
ナビスコ杯で今季初先発を果たした平山は、2011年に負った重傷により、2年間本来の力を発揮できずにいた 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
チームがJ1に復帰した12年も平山にとっては明るいシーズンではなかった。5月1日の練習中に負傷。診断結果は右腓骨骨挫傷、右短腓骨筋挫傷だった。
6月、囲み取材のふとしたタイミングで、ランコ・ポポヴィッチ監督は聞いてもいないことを言い出した。
「イブラ(平山)には子どもができました。とても祝福すべきことです。彼にもそのくらいの幸せがあっていい」
もちろん、平山に第一子誕生という公式のリリースは出ていない。それは文章には書かなかった。長谷川アーリアジャスールが味の素スタジアムでゴールを決め、平山に向けて「ゆりかご」パフォーマンスをしたのはその後、6月23日の対セレッソ大阪戦、清武弘嗣のニュルンベルク移籍前の関東ラストゲームでのことだった。
「相太くんに子どもが生まれていたのに点が取れていなくてできていなかったということもあり、みんなでやろうという気持ちもあってやりました。ああいうことがすべてではないと思うんですけど、やることによってチームが一丸となりますし。相太くんが喜んでいる顔が見えて、またがんばってもらえるだろうし、よかったと思います。今季は二回退場しているので、どこで観ているかわかっていますから。しっかりと確認して指も差してやりました」(長谷川)
移籍を思いとどめたポポヴィッチの言葉
「バスに乗ることだけを期待しているのではないことはたしかです(笑)」
10月13日、アウトソーシングスタジアム。平山はおよそ半年ぶりにメンバー入りし、ヤマザキナビスコカップ準決勝第2戦、対清水エスパルス戦に69分から出場した。0−2とリードされ敗色濃厚、アウエーの激烈な雰囲気のなか、力を存分に発揮することはできなかった。
「個人的には出場時間を伸ばしたい。得点してチームの勝利に貢献したいです」
しかしその後も満足に出場機会を得ることができず、2年連続ノーゴールに終わった。オフには他クラブへ移籍のうわさが流れる。12月20日、警視庁渋谷警察署および渋谷交通安全協会主催による「飲酒運転させないTOKYOキャンペーン」の先頭に、徳永悠平とともに立つ平山の姿があった。東京メトロ渋谷駅の改札口で啓発品を配り終え、ハチ公前で群集に囲まれたあとに来年の目標を問うと平山は「優勝です」と答えた。すかさず徳永は「えっ、いるの?」と聞いた。
「いてほしいでしょ」と聞き返す平山に徳永は「いてほしいよ……」と言う。冗談めかしたやりとりに、心情がにじんでいた。
その後一週間、オファーのあった他クラブへの返答期限が訪れるまで悩んだ平山は、来季も自分がチーム構想に入っていることを確かめると、東京残留を決めた。移籍に傾きかけていた考えを変えたのは、ポポヴィッチ監督の「全員が平等だ」という言葉だった。