五輪切符手にしたアイホ女子の次なる目標=世代を越えるスマイルジャパンの意志

高野祐太

平昌五輪へ向けても重要な世界選手権

世界選手権に向けて練習する女子日本代表。主将の大沢(写真上)は先輩からの思いを受け継ぎ、世界に挑む 【写真:北村大樹/アフロスポーツ】

 日本勢で来年のソチ五輪出場決定第1号となったアイスホッケー女子日本代表が、4月7日から13日までノルウェー・スタバンゲルで行われる世界選手権ディビジョン1(2部に相当)のAグループに出場する。この大会はソチ五輪には対戦カードが有利になるなどの直接の影響はないのだが、開催国枠だった1998年長野大会以来の五輪切符を手にした女子日本代表にとって、一気に世界の舞台でのし上がるためには、どうしても勝ちたい重要な大会となる。

 それは2月15日付の前回のコラムでも一部既報の通り、ソチ五輪を通り越して次の2018年の平昌五輪(韓国)に予選なしで出場するという、野心的な目標を視野に収めているからだ。予選なしで自動的に五輪に出場できるのは世界ランク6位まで(日本は同ランク11位)。今大会で優勝すれば、ソチ五輪の翌シーズンの世界選手権でトップディビジョン(1部に相当)に昇格でき、世界ランクを上げるためのポイントをより多く稼げる舞台で戦う権利が得られるのである。もちろん、ソチ五輪で躍進するためにも良い戦いをしなければならない。

 女子日本代表は長野五輪以降のソルトレークシティー、トリノ、バンクーバーと3大会連続で、最終予選の最終戦に勝つかあと1点を取れば五輪切符を獲得できるというところまで駒を進めながら、勝利の女神の祝福を受けられずにいた。この間、女子日本代表が日の目を見ることはほとんどなかった。プロでもなく、実業団などのシステムも持たない女子アイスホッケーの選手たちは、活動資金をアルバイトなどでねん出し、アイスホッケー以外のいろいろなことを犠牲にしながら地道に努力を重ねてきた。

 だから、“予選なしで五輪出場”の権利を取りに行くという目標に照準を合わせるまでに成長できたのは、飯塚祐司監督の下で打ち立てた長期戦略の結果でもあったし、これまでの3大会を戦った先輩たちの悔しさが世代を越えて受け継がれ、現代表選手に勇気を与えたからでもあった。

大沢主将の指針となった大谷さんの言動

「頼むね、ちーやん」「はい、絶対にソチに行きます」

 これは、バンクーバー五輪への道が断たれたとき、長野五輪以降の3大会の予選で日本代表だった大谷陽子さんと、当時初代表で最年少だった大沢ちほ(三星ダイトーペリグリン)との間で交わされた約束の言葉だ。それから4年。大沢は大きく成長し、21歳の若き主将として立派にチームを引っ張り、約束を果たして見せた。

 大谷さんが感慨深げに語る。「今の若い子たちが高い目標を持って扉を開いてくれました。おめでとうと言いたいですね。みんなホッケーが好きという気持ちだけで一生懸命やってきたので、これまで五輪を決められなかった悔しさを忘れて欲しくなかった。その努力が報われることになり、あの子たちには感謝しかないです」

 大谷さんは人一倍、代表チームが強くなることを念じ、その思いを現役当時から後輩たちに伝えてきた。そして、それを最も近くで受け取っていたのが遠征時に同部屋だった大沢なのだ。

 大沢が振り返る。「大谷さんはいつも『チームのために何ができるかを第一に考えれば良いチームになるよ』と言ってくれていて、そのことの大事さにいち早く気づいていたし、自分からそういう行動ができる人だったので、すごいなと思っていました」

 大谷さんの言動は、大沢の主将としての指針ともなり、「チームのために何をするのが一番良いのか、常に心に置きながらやっている」のだと言う。ソチ五輪が決まったとき、大谷さんはさっそく「おめでとう」と現地にメールを送り、大沢は「4年前に教わったことが私にとって大きく、そのおかげでソチ行きの切符をつかむことができました」と返信している。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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