アルゼンチン無冠時代に夜明けは来るのか=再び手の届く存在となりつつあるW杯

代表でも本領を発揮するようになったメッシ

代表でも伸び伸びとプレーするメッシ(右)。ボリビア戦後には親しみあふれる笑顔も 【写真:アフロ】

 ベネズエラ、ボリビアと対戦した3月の2014年ブラジルワールドカップ(W杯)南米予選の2試合で勝ち点4を加えたことにより、アルゼンチン代表は本大会出場に向けて大きく前進することができた。同時に彼らは、史上3度目の世界制覇を目指すという新たな挑戦の扉を開けたとも言える段階に足を踏み入れた。

 2011年の11月15日をきっかけに、アルゼンチンを取り巻く状況は大きく変わった。蒸し暑いバランキージャでコロンビアと対戦したあの日、アルゼンチンはリオネル・メッシとセルヒオ・アグエロの活躍により0−1からの逆転に成功し、難敵相手に重要な勝ち点3を持ち帰った。

 この試合を機に一部のファンやメディアから向けられていた疑問の目を払しょくしたメッシは、大多数の国民から崇拝されるスーパークラックとなった。その後、彼はブエノスアイレスでプレーする度に怒りや不快感を抱くことも、代表招集が発表される度に家族に心配をかけることもなくなった。3660メートルの高地ラパスで行われた3月26日のボリビア戦終了直後には、長年彼のプレーを追ってきたわれわれ記者が見たことのない親しみあふれる笑顔を見せるに至った。

 代表でも伸び伸びとプレーできるようになったメッシは、今やチームキャプテンを務めるだけでなく、チーム内で重要な決断を下す責任を負うようになった。そのメッシに導かれ、少しずつチームはディエゴ・マラドーナを中心にW杯を制した1986年当時のチームと同様の軌跡をたどりはじめている。しかもその軌跡は、本大会まで1年半近くもある段階から非常に順調な歩みとなっている。

すでにチーム70パーセントが固まる現代表

 W杯南米予選において、現在アルゼンチンは2位エクアドルに勝ち点4差、4位のチリ、5位のベネズエラには同9差をつけている。チームがこれだけ順調に勝ち点を積み重ねてこられた要因はまず選手たちの堅い団結にあり、それはアレハンドロ・サベーラ監督のチームマネージメントによるところが大きい。

 聡明(そうめい)な反面、少々実利主義すぎるところもあるサベーラは、常に冷静で分析的なものの見方をする男だ。94年に就任し、98年W杯フランス大会までアルゼンチン代表を率いたダニエル・パサレラ監督のアシスタントコーチを務めた後、同じくパサレラの下でウルグアイ代表、そしてカルロス・テベスやハビエル・マスチェラーノを擁するコリンチャンスなどを指導。エストゥディアンテス・デ・ラプラタの監督時代にはコパ・リベルタドーレスを制し、09年のクラブW杯決勝ではバルセロナ相手にあと1分で勝利を手にするところまで至った実績を持っている。

 現在のアルゼンチンはサベーラがエストゥディアンテス時代に指導した選手たち、メッシとともに05年のU‐20W杯を制した選手たちの2グループに分けることができる。マスチェラーノやゴンサロ・イグアインら、いずれのグループにも当てはまらない選手はごくわずかしかいない。

 W杯本大会の開幕はまだ1年以上も先のことながら、すでにチームは少数精鋭化し、メンバーの70パーセントは固まってきている。ディエゴ・マラドーナが率いた4年前は計102人もの選手をテストしていただけに、当時とは対照的なチーム作りの過程をたどっていると言える。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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