高木美帆、大学進学に秘められた決意=ソチ五輪1年前、「私らしさ」を求めて

高野祐太

“1人だけの卒業式”で旅立ち

29日、“1人だけの卒業式”に臨んだ高木。多くの同級生らが祝福に駆けつけ、にぎやかな卒業式となった 【高野 祐太】

 中学3年でバンクーバー五輪に出場し、世間から“スーパー中学生”と騒がれていたのが懐かしい出来事のような、あっという間のような。あれから丸3年が過ぎて――。

 スピードスケートの高木美帆(帯広南商業高校)が3月29日、“1人だけの卒業式”で、3年間通った学びやに別れを告げた。本当の卒業式にはシーズン最終盤の海外遠征中で出席できなかったため、学校側が計らってくれた。“1人だけ“のはずが、多くの同級生らが祝福してくれて、ことのほかにぎやかなものとなった。

 この式が象徴するように、普段から飾るところがない高木にとっては、たくさんの友情を育んだ3年間でもあった。今年1月のインターハイに応援に駆けつけた友人たちは「いたずら好きでおちゃめなんです。世界に羽ばたいているのに天狗にもならないし、スケート選手のときのりりしい姿とのギャップがすごい。なんか素敵なんだよね」と顔を見合わせていたものだ。

 4月から高木は日本体育大学に進学する。これだけ聞けば、高校生トップアスリートが強豪大学の1つを選んだという普通の話にしか聞こえないかもしれない。だが、この進路選択は、実は1年近く悩んだ末の決断であり、高木ならではの選択だった。というのも、日本最高峰の競技環境を手に入れられるのに、あえてそうではない困難な道を選び、自分らしさを貫こうとチャレンジした、という意味があったからだ。

実業団か大学か、「私らしさ」に揺れる

 日本スピードスケート界の至宝である高木には、実業団チームからの誘いや地元・帯広に残ってもらいたいという話もあった。特に、実業団トップチームから誘いがあり、世界で勝ち抜こうと思うならば、高木ほどの選手ならば、普通はそこに決めるだろうというくらい整った環境だった。

 こんな好条件が目の前にあるのに、高木は悩む。「実業団に行けば、スケートがすべての環境で専念することができる。でも、それって、私らしくないんじゃないか」と。

 これまでの高木はスケート一辺倒ではなく、友人を大切にし、勉強も頑張って優秀な成績を残し、家庭の手伝いもよくしてきた。中学時代、トップ選手を科学的にサポートする国立スポーツ科学センターでの代表合宿を体験し、スポーツ科学の専門家への興味がわいたりもした。「私らしさ」とは、スケート以外のことにも一生懸命であるということなのだ。

 こういうこともあった。海外遠征の帰りの乗り継ぎ空港で少しの時間があると勉強を始めた。コーチ陣が「帰国してからでもいいんじゃないか」と言うと、「明日からテストなんです」とさらりと言って、疲れた体で当たり前のように参考書をめくり続けた。メンタルの専門家によれば、「こういうことは、当たり前のことを当たり前に積み重ねることであり、どんなメンタルトレーニングよりも優れた究極のメンタルトレーニング」なのだという。

 一方で、大学を選べば、すでに日本のトップである自分には対等な練習パートナーが見つからないなど、環境面に不安が募った。勉強に追われれば、スケートとの両立もままならなくなるかもしれない。世界と戦う上で正しい選択なのか自信が持てなかった。だから、「私らしさ」を追い求める勇気がなかなか出なかった。

選んだ道は「美帆ちゃんらしいよね」

高木は今季、世界ジュニア選手権で2連覇を達成。1年後に迫ったソチ五輪へ、「チャレンジ精神を忘れずに」と決意を新たにした 【写真は共同】

 高校2年の秋ごろから進路を考え始めていた高木は、3年の春になっても、夏が近づいても結論を出せずにいた。その間、事あるごとに連絡を取り合い、アドバイスをもらっている信頼を寄せる人がいた。その人が授けたのは「実業団ならば、アスリートとして望むすべてのものをかなえてくれる。だけど、大学に行くのであれば何も望んではいけない。練習相手もいないかもしれないし、勉強が練習の足かせになるかもしれない。だけど、その中でやってみようと思えるなら、大学は行く価値があるんじゃないか」という言葉だった。

 昨秋のシーズンが始まろうとするころ、夜の遅い時間にその人に電話をかけた高木は、ついに「日体大に決めます」という一言を口にした。
 それを聞いた母親の美佐子さんは、その人にこうメールを送ったという。
「(バンクーバー五輪に臨んでいたころ以来)3年ぶりに美帆が挑戦する顔になっています。うれしいです」

 また、この選択は、小さいころから高木を知る人の多くが「美帆ちゃんらしいよね」と思えるものだという。だとするならば、大学進学は回り道になるかもしれないが、最後は選んで良かった道になるに違いない、と思えてくる。

 今季は世界ジュニア選手権で2連覇を果たし、シニアでも少しずつ世界の背中を追う一歩一歩を踏み出せている。そして、1年後にはソチ五輪がやって来る。

 卒業式後の会見で語った中には、「五輪イヤーに入るときに新しい環境に変わるので、良い意味で考えすぎず、いろんなことに挑戦する気持ちがプラスに働くと思うので、チャレンジ精神を忘れずにいきたい」との言葉があった。

<了>
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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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