内田の“先見の明”で紐解く日本の課題=清武との絶妙コンビで見出した光明

元川悦子

内容は圧倒も守備面で苦戦した日本

前半は10番(右)のマークなど、守備に忙殺される時間帯が目立った内田 【写真:なかしまだいすけ/アフロ】

「前半から何回もチャンスがあったし、向こうより僕らの方が決定機も多かったけど、1〜2回のチャンスでサクッと点を取られて負けた。そういう意味ではもう少し早い時間に決めたかった。ハーフタイムに監督も『点を取れる時に取らないと』って結構怒っていたし、その一言だと思いますね。だけど、自分たちはまだ首位にいるし、有利には変わらない。これで終わりじゃないんだから、変に落ち込みすぎない方がいいと思います」

 26日夕刻、アンマンのキング・アブドゥラ・インターナショナルスタジアムで行われたヨルダン戦。日本代表は1−2とまさかの黒星を喫し、2014年ワールドカップ(W杯)・ブラジル大会出場を決められなかった。本田圭佑不在のトップ下で先発したエース・香川真司、アーメド・ハイル(10番)に1対1でかわされ決勝点を奪われた吉田麻也らが憮然(ぶぜん)とした表情でミックスゾーンを無言で通り過ぎる中、内田篤人は誰よりも長く、報道陣の質問に淡々と答え続けた。懸命にしゃべることで、彼は大一番で勝ちきれなかった要因を自分なりに整理し、気持ちを切り替えようとしていたのかもしれない。

 内田の言うように、この日の日本代表は内容ではヨルダンを圧倒した。アルベルト・ザッケローニ監督は22日のカナダ戦(ドーハ)であまり機能しなかった香川をトップ下に据える布陣をあえて選択。右サイドに岡崎慎司、左サイドに清武弘嗣、FWに前田遼一という前線4枚で臨んだが、彼らは4日前とは打って変わって流動性の高い、連動した動きを披露した。前田が前線で体を張ってタメを作ったり、左右に動いて香川を前に飛び出させたり、清武が中へ絞って左サイドバック・酒井高徳の上がりを引き出すなど、多彩なバリエーションで攻め込み、何度も決定機を作った。

 しかしながら前半、内田のサイドは守備に忙殺される場面が目立った。対面に位置するドリブラーのアルサイフィー(9番)や外に開いたハイルにドリブル突破を仕掛けられ、たびたび1対1にさらされる。16分にはハイルが内田を振り切ってニアサイドに左足で強烈なシュートを放つ。これは守護神・川島永嗣が好セーブで防いでくれたから良かったが、失点につながっていてもおかしくなかった。

 それだけではない。内田のトラップミスをアメル・ディーブ(7番)に拾われ、中へ切れ込んだアルサイフィーに迫力あるシュートを浴びせられた20分の決定機、ロングボールに左サイドで受けたバニアテヤ(13番)に1対1を挑まれ、内田がエリア内で倒してあわやPKかと思われた30分のシーンなど、彼が絡んだ危険な局面は少なくなかった。前半アディショナルタイムの1失点目も、内田が相手のワンツーに対しCKに逃げるのが精いっぱいで、そのCKから得点を奪われてしまった。もちろん不運が重なったが、前半の彼は守備面で相当苦しんだはずだ。

欧州での経験から来る精神的な落ち着き

 だが、当の内田には、そこまでやられた感はなかったという。

「9番ももっとゴリゴリ来るのかと思ったけど、そうでもなかった。何度かシュートも打たれましたけど、中に入れさせないようにすれば、永嗣さんが止めてくれるかなと思って外に行かせました。1回だけ中に入って打たれましたけど、やられたのはそれだけ。やっぱりセットプレーでしょうね。カナダ戦でもやられているし」と語り、決定機一歩手前で相手を断ちきっていたという感覚だったようだ。

 そう思うのも、シャルケ04で世界のビッグネームと頻繁に対峙していることが大きいはずだ。今季UEFAチャンピオンズリーグを見ても、昨年10月のアーセナル戦ではルーカス・ポドルスキをほぼ完封し、2月のガラタサライ戦でもディディエ・ドログバに猛然と体を寄せていた。その経験が「ここまではOK」という感覚を養わせ、精神的な落ち着きをもたらしているのだろう。

 とはいえ、敵地で1点のビハインドを背負ったのだから、後半はいち早く反撃に打って出る必要がある。内田も「できるだけ早く1点を取ろう」と切り替え、より積極的な攻撃参加を目論(もくろ)んだ。しかし、後半開始直後の日本は思ったようにリズムをつかめず、15分には酒井高、今野泰幸、吉田と3人の信じがたいミスが重なって2点目を奪われる。

「さすがに2点目を取られたら厳しいなとは考えていたけど、浮き足立つようなことはなかった。アウエーはこういうゲームになるかなと思ったし、これよりもっと危ない試合をしてきていますから。僕としては、とにかく早く1点がほしかった」と、内田はこの時の心境を打ち明ける。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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