狂った歯車を整えた中村憲剛の安定感=4年前の再現が期待されるヨルダン戦

元川悦子

決まりに縛られ過ぎた香川

後半から投入され、チームの攻撃のリズムを整えた中村 【Getty Images】

「後半は(中村)憲剛さんと(香川)真司がショートパスでボールをうまくつないでいたし、憲剛さんが気を利かせて引いてリズムを作ったりもしていた。そのへんが前半と変わったところ。前半はロングボールを前田(遼一)さんに当てる場面が多くて、そこで失っていた。フィジカルの強い相手にはああいう形だとつぶされてしまう。もう少し後ろからボールをつないで前に運ぶことを前半のうちからできればよかったと思います」

 キャプテン・長谷部誠がこう指摘した通り、22日(日本時間23日未明)のカナダ戦に挑んだ日本代表は、後半に入ってから攻めのリズムが改善され、決定機の数も大幅に増えた。得点こそハーフナー・マイクの1点のみだったが、3、4点を奪っていてもおかしくなかった。それに、カナダの運動量が落ちたのも追い風にはなったが、全体の流れを大きく変えたキーマンが中村憲剛だったといってもいいだろう。

 ご存じの通り、このカナダ戦は2014年ブラジルワールドカップ(W杯)出場権のかかる26日の天王山・ヨルダン戦を控えた最終テストの場と位置付けられた。本来、本田圭佑が担うトップ下をどうするかは、ザッケローニ監督にとって最大の懸案だったに違いない。指揮官は今回、香川を2012年2月のウズベキスタン戦以来となるトップ下で先発起用。右の岡崎慎司、左の乾貴士と2列目を組ませ、彼らを軸とする攻撃陣が機能するかを試した。

 ところが、カナダの予想外の激しいプレスとロングボール攻撃に戸惑い、日本は高い位置でボールを支配することができない。開始9分に岡崎のループ気味の左足シュートが決まって早々と1点をリードしたものの、その後も攻撃の連動性がなかなか高まらなかった。香川本人も「前半はトップ下うんぬんじゃなく、相手の方がセカンドボールを拾っていたし、プレスのかけ方など全てにおいてうまかった。こっちはやりたかったことができなかった。途中から乾が中に入ってボールを受けることでリズムが出てきたけど、自分はちょっと形にとらわれ過ぎた」と反省しきりだった。ザック監督は「2列目の両サイドが外に張った時、香川はあまり彼らに寄らないように」と練習で繰り返し指示を出していたというが、代表では不慣れなトップ下に入った彼はその基本に縛られ過ぎ、周りとの良い距離感を見出せなかったようだ。

試合の流れを変えた中村の投入

 ベンチに陣取っていた中村憲剛はその戦況を眺めながら「みんなのポジションが等間隔過ぎる。近距離でテンポ良くつなぐというのができていない」と考えていた。「前半はカウンター攻撃は何度か出せていた。だから、自分が出たらしっかり前と後ろをつなぐことをまずやった方が良い」と彼はピッチ上でのイメージを膨らませていたという。

 迎えた後半、指揮官はこのベテランMFを後半頭から投入し、香川を左、乾を右に移動させる決断を下す。「憲剛は中盤にバランスをもたらしてくれる」とザック監督に評される男は、長谷部と遠藤保仁の両ボランチをサポートしつつ、短いパスを小気味良くつなぎながら中盤で確実にタメを作った。

「相手のボランチもウチのダブルボランチに(プレスに)来ていたし、自分がヘルプに入ってうまく3対2の状況を作れればいいと思った。そうすることによって、相手のサイドバックとボランチのところにスペースができた。真司がそこをうまく突いたから、(酒井)高徳も上がれるようになった。そういうプラス面はありましたね」と憲剛は冷静に分析する。

 確かに前半は攻撃参加の機会がほぼなかった酒井高徳は、後半に入って積極果敢に前へ出るようになった。「今の日本代表は、SBが自らボールを持って作るよりは、中で組み立てたところに僕らが厚みを加えるイメージ。前半は香川君や乾君が前を向く状態があんまりなくて上がりづらかったけど、後半は真司君が左に来て良い動きをしてくれたし、憲剛さんとの距離が近くて良いリズムでパスがつながったんで、自分が前へ出ていけた。中に起点ができるとSBはやりやすいなと思いますね」と本人もしみじみ語っていた。ハーフナーが後半29分に奪った2点目も、高徳が左の高い位置まで上がって折り返したボールにニアサイドで香川がつぶれ、そのこぼれ球をハーフナーが蹴り込んだものだ。

 ザック監督は「香川がトップ下だと両サイドのアタッカーは守備でもう少し力を割かないとといけない。逆に中村がトップ下だと、守備の負担は多少は減る」と試合後の記者会見でコメントしたが、高徳の攻め上がりの増加を見れば、その説明が的確であることが良く分かる。長友佑都がいないとはいえ、やはりサイドアタックは今の日本代表の生命線。それを演出したという意味で、中村憲剛加入効果は大きかった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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