名前は変われど「清商魂」は永遠に=大瀧雅良監督と偉大なるOBたちの思い

元川悦子

清商らしい「自発的な雰囲気」

2000年のアジアカップ決勝。この試合には名波(1列目左)、望月(1列目右)、川口(後列右)と3人の清商OBが出場していた 【写真は共同】

 この全国制覇が清水の少年たちの心に響き、三浦文丈、藤田俊哉、山田隆裕、大岩剛、薩川了洋、望月重良、平野といったタレントたちが次々と清商の扉をたたいた。名波に至っては、県内のライバル関係にある藤枝から清水へ赴くという前代未聞の決断をした。名波の両親は地元の人々から激しい批判を受けた。「そこまでして清水に行ったんだから、全国優勝はもちろん、日本代表になるくらい成功しなければ。親孝行しないといけない」と名波は強く思ったという。名波の代は選手権制覇こそかなわなかったが「清商史上最強チーム」という呼び声も高い。

 その名波が1年生だった88年度に清商は2度目の選手権制覇を達成している。3年生に三浦、2年生に藤田、1年生に山田を擁するタレント集団は華やかで全国のサッカーファンを魅了した。そのチームの攻撃の軸を担った三浦と藤田は三保第一小学校時代からの幼なじみだが、高校生になっても2人で朝練をしてから学校に行くほど努力していた。当時の清商では同じポジションの先輩後輩が組んで自主トレをするのが常だったが、2人はそれを先取りし、楽しみながら感性を磨いていたのだ。

 こうした優れた先輩のエッセンスを名波、望月、平野らが確実に引き継いでいった。平野は「山田さんと1対1をやりながら、どこを狙っているのかを懸命に汲み取ろうとしましたし、名波さんからはFKを教えてもらった。名波さんは3本のうち2本は必ず自分の狙ったところに蹴ってくる。自分も絶対的な武器を持たないとダメだなと強く感じました」と神妙な面持ちで話す。大瀧監督は「選手同士で刺激しあって、いい部分を吸収し合ってもらうのが一番」と考えていたから、選手たちが思惑通りに動いてくれたことに大きな喜びを感じたはずだ。しかし、その本音は決して表に出さず、つねに選手たちをにらみつけ、威圧感を与えていた。それも大瀧監督独特の選手操縦術なのだろう。こうした中で、選手たちは清商らしい「自発的な雰囲気」を作り上げていった。

あらためて気づいた「人間教育」の重要性

 川口、田中誠が3年生、安永聡太郎、佐藤由紀彦が2年生だった93年度の選手権で3度目のタイトルを勝ち得た時も、小野、平川忠亮らを擁して96年高校総体を制した時も、やはり清商には「高度な自主性」と「高いレベルの競争意識」があった。川口はミスした後輩を容赦なく怒鳴りつけ、小野も大瀧監督から怒鳴られないように先回りして行動していた。仲間たちは意識の高いキャプテンの姿から学ばされたことが多かったはずだ。
 その筆頭が平川だろう。「伸二はスキルも人間性も飛び抜けていて、とてもかなわないと思った」と言う彼は、小野と全く同じことをしていても意味がないと考え、アウトサイド職人として自分自身を突き詰めていった。「体力強化の場」として清商関係者なら全員が熟知する桜の名所・船越堤公園での走りも意欲的に取り組んだ。プロになった今も原点に戻るために走りに行くことがあるというから驚きだ。「あれだけ苦しいことをしたんだからどんな練習も乗り越えられると思った」と小野も語気を強めていたが、清商での3年間は肉体的にもメンタル的にもその後の確固たる土台になっているのは間違いない。

 小林大悟、水野晃樹、風間宏希・宏矢ら2000年代の選手たちの時代になると、Jクラブの台頭もあり、高校サッカーを取り巻く環境は難しくなった。静岡県内の選手分散も影響し、清商といえどもなかなか全国の舞台に立てなくなった。大瀧監督も高校サッカーの意味を問い直した。

 そこであらためて気づいたのが「人間教育」の重要性だった。Jクラブなどでは指導者と選手が接することができるのはピッチ上での2〜3時間だけだが、学校では長ければ1日18時間もの時間を共有できる。サッカーだけでなく、授業や学校行事、生活面を含めてフォローできる。水野は清商恒例のトイレ掃除を3年生の時、毎日欠かさず続けて継続することの重要性を学び、風間宏希は新聞を読んで社会問題について考えることが習慣化されたという。

困った時にいつでも戻れる場所

 これだけ多角的な角度から結びついた人間の絆は非常に強い。それを如実に表していたのが、今年1月2日にアウトソーシングスタジアム日本平で行われた清商最後の初蹴りだ。名波が電話をかけまくって現役・OBのJリーガー73人中62人を集め、シーズン中のため不参加だった小野伸二がスタジアム使用料を負担したこのイベントは大盛況だった。大瀧監督は普段通り、選手との距離を保ちつつも「お前たちをいつでも遠くから見守っている」という親心をにじませていた。どんな人にとっても困った時にいつでも戻れる場所があるというのは心強い。清商というチームにはそれだけ大きな器がある。それをあらためて痛感させられた。

 これだけのパワーとエネルギーを持つ清商がなくなってしまうのはあまりにも惜しい。しかし、冒頭で書いた通り、大瀧監督はこれからもサッカーを通して人間教育を施していく考えだ。体罰問題で高校スポーツの是非が問われる今だからこそ、きちんと距離感を測りながら生徒たちと接していくことが肝要である。そのあたりのさじ加減をよく分かっている名将が居続ける意味は大きい。大瀧監督が新高校で非常勤講師を続けるか否かはまだ未定というが、何らかの形でサッカー部には関わり続けるのは確か。そんな指揮官やOBたちには「清商魂」の力強い伝承者になってほしいものだ。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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