名前は変われど「清商魂」は永遠に=大瀧雅良監督と偉大なるOBたちの思い
清水桜が丘高校として新たな一歩を踏み出す
清商を全国有数の強豪高に育て上げた大瀧監督。多くの日本代表選手を輩出した 【写真:アフロ】
清商サッカー部初の全国大会出場となった69年夏の高校総体でキャプテンを務め、74年に母校に赴任してから足掛け39年間もサッカー部を指揮してきた名将・大瀧雅良監督にとってもこの出来事は寂しい限りだろう。しかし、これまで守り続けたものを簡単に消滅させるわけにはいかない。「たいやきも黄金まんじゅうも中身はあんこ。それと一緒で、名前は変わっても中身は同じだということを今後も示していきたいですね」と指揮官は新高校での清商魂継承に意欲を燃やしている。
「僕がやってきたのは、今の一瞬を一生懸命生き、努力することの大事さを子供たちに教えてきたこと。それだけですね。最近の子供たちは『先があるから今はいいや』とすぐに物事を流そうとする傾向が強い。でも、一生懸命の積み重ねがあってようやく未来が開ける。スポーツはまさにその象徴なんです。40年近い指導者生活の中では、選手を怒鳴ったり叱ったりしたことも数えきれないほどありましたけど、僕は必死に頑張ることの素晴らしさを伝えたかった。高いレベルを目指したいと思うなら、それなりの努力は必要ですからね。日本代表になった名波や能活たちは自然とそういうことに気づき、自分を律してサッカーに取り組んでくれました。高校時代はたった3年ですけど、その後の人生に及ぼす影響は物すごく大きい。僕はそう思いますね」と指揮官は過ぎ去った時間にしみじみと思いをはせた……。
価値観を覆した風間八宏との出会い
そんな大瀧監督にとって最初の転機となったのが、風間八宏との出会いだった。清商3年の時に79年ワールドユースに出場し、筑波大時代には日本代表入りした名選手を手元に預かってみて、自らの価値観が根底から覆されたと指揮官は言う。
「スポーツでは間合いや呼吸が大事。遠藤(保仁)のコロコロPKもそうですけど、絶妙なタイミングを読める天性の才能というのは確かにある。それを持つ八宏を見て、自分の力の限界を思い知らされました。子供たちの方がずっと才能もセンスもあるんだから、僕が上から目線で教えようとするより、彼らの持てる力を際限なく伸ばすことを考えた方がいい。そのための方法を勉強しようと考え直したんです」
大瀧監督は選手たちの特徴を見極め、長所を伸ばす指導へと転換。江尻篤彦キャプテン率いる85年度のチームを高校選手権初制覇へと導くことに成功する。指揮官は「江尻たちの選手権優勝が人生2つ目の転機」と言い切るが、江尻自身も「僕にとってもあの優勝は人生の大きな糧になっています」と強調する。
「僕らの代は高校総体静岡県予選1回戦で負けるような弱小チームだった。大瀧先生にも『お前らはもう練習に来なくていい』と言われました。でも選手権を目指さないまま引退するなんて考えられない。先生の丸坊主姿を見て、キャプテンとしてできることは何だろうと毎日真剣に考え、数日後に3年生全員と話し合い『もう1回やらせてほしい』とお願いに行ったんです。先生はなかなか首を縦に振ってはくれませんでしたけど、何とか練習に戻ることができた。そこからの僕らは目の色が変わったように積極的になり、全員がチームのために働こうと自ら役割を探し始めた。あれだけ高度な一体感を感じたのは、その後の人生を考えてみてもないですね」と述懐する。このエピソードは大瀧監督の「選手たちに考えさせる指導」が大輪の花を咲かせた象徴的な事例と言っていい。