29回目のフェデラーvs.ナダル 「早すぎる」特別な一戦

内田暁

初対決以来の“舞台”で戦ったフェデラー(左)とナダル 【Getty Images】

 BNPパリバオープン準々決勝、ロジャー・フェデラー(スイス)とラファエル・ナダル(スペイン)は、29回目の対決を迎えた。2人が決勝、準決勝以外のラウンドで戦うのは、初対決した2004年3月下旬のマイアミマスターズ大会以来、実に9年ぶりのこと。テニス界にとって特別な2人の戦いの行方は――。

“生きる伝説”と“赤土の王者”の初対決

 「十年一昔」の言葉になぞるなら、もはや昔話の類になる。
 2004年2月2日。その日発表の世界ランキングで1位となった当時22歳のフェデラーは、滞在先のホテルの部屋の扉に「世界1位の部屋!」と書いた紙を張り、自らその地位を祝福した。同年1月の全豪オープンでキャリア2つ目のグランドスラムタイトルを手にしていた彼は、その後も3月のドバイオープン、ドバイ翌週のインディアンウェルズでもアンドレ・アガシ(米国)ら強敵を次々に破り優勝。若き王者の前途には輝かしい未来が開け、意気揚々と、3月下旬のマイアミマスターズ大会へと乗り込んでいった。

 その新王者はマイアミ大会の3回戦で、17歳の少年と対戦する。真っ赤なノースリーブシャツに、頭には幅広の白いバンダナ。驚異的なフットワークでボールを拾いまくり、上腕二頭筋の盛り上がった左腕でボールをたたき潰すようにショットを打ち込むそのスペイン人は、王者相手にも臆することなく、荒ぶる雄牛の如く勇猛に立ち向かった。
 試合開始から70分。スマッシュを豪快にたたきこむと、赤いシルエットがマイアミのコートを踊るように跳ねる。スコアは6−3、6−3。英語がまだあまり得意ではなく、はにかんだ笑顔が印象的なその少年は、時の世界1位を破り世界を驚嘆させると、翌年には全仏オープンで優勝。“ラファ”の愛称で、世界中から愛される存在となった。

 一方で、王位に就いた直後に衝撃の敗戦を経験した世界1位は、その後も何と4年半の長きに渡り頂点に君臨し続け“史上最高の選手”となる。

 あの衝撃の初対戦から9年――その間に2人は27回ラケットを交え、その全てがトーナメントの決勝もしくは準決勝で実現してきた。17歳の少年は“赤土の王者”へと成長し、22歳の若き王者は“生きる伝説”に。
 そして“ロジャー・フェデラー対ラファエル・ナダル”は、他に並び立つ物のない、テニス界における唯一無二のライバル物語となったのだった。

9年ぶりの「早すぎる」対戦

 その特別な一戦が、2013年3月のBNPパリバオープン準々決勝で、再び実現した。通算29回目となる決戦を控えた前日、フェデラーとナダルは互いに「早すぎる(early)」の言葉を残している。くしくも2人の王者が口にする、同じ感慨。だがその言葉が含む意味合いは、それぞれ微妙に異なっていた。
 フェデラーの「early」は「いつもラファとの対戦は決勝や準決勝なのに、今回は4試合目(準々決勝)だ」と、対戦がトーナメントの早い段階で実現したことを指していた。両者が準決勝より早いステージで対戦したのは、2004年マイアミ以来。つまり、初対戦以降では初めてのことである。
 一方のナダルが嘆く「早すぎる」とは、復帰戦からフェデラー戦までの期間の短さを指していた。ナダルは今年の2月に、左ヒザの負傷による7カ月半の長期戦線離脱から復帰したばかり。その復帰からわずか1カ月の間に既に2大会で優勝しているが、にも関わらず「ロジャーと戦うレベルには、まだ達していない」と漏らす言葉に、フェデラーに対するナダルの並々ならぬ敬意と覚悟が込められていた。

1/2ページ

著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント