プロ17年目の中村俊輔が挑む2大テーマ=輝きが色褪せない稀代のファンタジスタ

元川悦子

キャプテンとしてベテラン色の強いチームをけん引

プロ17年目のシーズンを迎える中村俊輔。今季もキャプテンとしてチームをけん引する 【Getty Images】

 欧州である程度の成功を収めている香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)、長友佑都(インテル)、内田篤人(シャルケ04)らに追いつけ追い越せと、この冬には大前元紀(デュッセルドルフ)や金崎夢生(ニュルンベルク)、永井謙佑、小野裕二(ともにスタンダール・リエージュ)ら20代前半の日本代表予備軍が続々と海外へ移籍した。1993年の発足から20周年を迎えるJリーグの空洞化が一段と進んだ印象だ。

 22日に都内で行われた今シーズン開幕前のJリーグキックオフカンファレンスも、各クラブの代表として出席した看板選手の約半数が30代だった。若手と位置付けられたのは20歳の柴崎岳(鹿島アントラーズ)と23歳の柿谷曜一朗(セレッソ大阪)くらい。ジェフ千葉のキャプテン・山口智も「僕らベテランがまだまだ頑張っていかなければいけないと改めて感じましたね」と神妙な面持ちで語っていた。

 そんなJリーグにあって、とりわけベテラン色が強いのが、横浜F・マリノスだろう。39歳のドゥトラ、36歳のマルキーニョス、35歳の中澤佑二、34歳の中村俊輔、30歳の富澤清太郎と主力には30代がズラリと並ぶ。21日のジェフ千葉との練習試合に出ていたスタメン11人の平均年齢も30.81歳。小野が抜け、齋藤学が左足首負傷で出遅れていることも高齢化に拍車をかけているようだ。昨季まで重要なバックアップ役を担っていた谷口博之や狩野健太(ともに柏レイソル)、青山直晃(ヴァンフォーレ甲府)、松本怜(大分トリニータ)ら中堅世代がごっそり移籍し、主力と控えの実力差が如実に感じられる状況になったと言っていい。

 2011年から3年連続でキャプテンマークを巻くことになった中村は「J全体を引っ張るっていう意識はないけど、俺自身は死にもの狂いでやるつもりだよ」と今季に懸ける強い意気込みをのぞかせた。

若手の海外挑戦に前向きな中村

 桐光学園から97年に横浜FM入りして早17年。彼のプロ生活は天国と地獄の繰り返しだった。日本代表での栄光と苦悩はよく知られているが、クラブレベルでも浮き沈みの激しいキャリアを過ごしてきた。

 プロ1年目はハビエル・アスカルゴルタ監督の「育てながら使う」という方針の下、後半途中からの出場がほとんどだったが、リーグ戦27試合出場5得点と高卒ルーキーとしては好スタートを切ることができた。主力に定着した2年目の98年は33試合出場で9ゴールをマーク。その後も順調に飛躍し、00年には横浜FMの第1ステージ制覇に貢献するとともに、史上最年少の22歳でのJリーグMVPを獲得した。ところが翌01年はまさかのJ2降格危機に直面。やっとの思いでチームをJ1残留させることに成功した中村は、それを置き土産に02年夏にイタリアへと渡った。当時は「日本代表の主力になってから海外へ出ていく」というのが日本人選手の成功モデルと見られていたため、24歳の欧州挑戦も決して遅くはなかった。

 そこから8年間、イタリアとスコットランド、スペインでタフで激しいフットボールに身を投じた。欧州チャンピオンズリーグで日本人初のベスト16入りやスコットランド・プレミアリーグでMVPを獲得するなど、彼の残した足跡が次世代の日本人選手の道を開くことになったのは確かだ。だからこそ、中村は今の若手の海外挑戦を前向きにとらえている。

「若くて良い選手が海外へ行くのはすごく良いこと。どんどん出て行ってほしいと思っている。(小野)裕二のベルギーにしてもそうだけど、やっぱり挑戦することは大事。環境を変えることで新しい人とのつながりができたり、視野が広がったりするし、いい意味で揉まれるからね。Jリーグが空洞化したと言われるかもしれないけど、選手個々のレベルが上がるのは日本サッカーにとっても結果的にプラスだと思うよ」と彼はしみじみ言う。中村と同い年でずっと国内でプレーしてきた山口智は「若いトップ選手とガチンコでやれる機会が減って寂しい気がする。90年代を知っている僕らとしては以前より張り合いがないですね」と複雑な心境をのぞかせたが、海外経験者との意見の相違があるのは、仕方のないことかもしれない。

 ただ、山口が指摘するように、Jリーグの環境はここ10年で一変した。90年代を盛り上げたストイコビッチやドゥンガのような世界的な外国人選手は去り、アジア枠の韓国人やオーストラリア人かブレイク前のブラジル人選手が助っ人の大半を占めていた。香川や本田圭佑(CSKAモスクワ)のように20歳そこそこで海外に出ていく選手も増え、スター不在が叫ばれるようになっていたのだ。円熟期を海外で過ごし、10年春に横浜FMに戻ってきた31歳(当時)の中村も、そのことを少なからず感じたはずだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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