プロ17年目の中村俊輔が挑む2大テーマ=輝きが色褪せない稀代のファンタジスタ
キャプテンとしてベテラン色の強いチームをけん引
プロ17年目のシーズンを迎える中村俊輔。今季もキャプテンとしてチームをけん引する 【Getty Images】
22日に都内で行われた今シーズン開幕前のJリーグキックオフカンファレンスも、各クラブの代表として出席した看板選手の約半数が30代だった。若手と位置付けられたのは20歳の柴崎岳(鹿島アントラーズ)と23歳の柿谷曜一朗(セレッソ大阪)くらい。ジェフ千葉のキャプテン・山口智も「僕らベテランがまだまだ頑張っていかなければいけないと改めて感じましたね」と神妙な面持ちで語っていた。
そんなJリーグにあって、とりわけベテラン色が強いのが、横浜F・マリノスだろう。39歳のドゥトラ、36歳のマルキーニョス、35歳の中澤佑二、34歳の中村俊輔、30歳の富澤清太郎と主力には30代がズラリと並ぶ。21日のジェフ千葉との練習試合に出ていたスタメン11人の平均年齢も30.81歳。小野が抜け、齋藤学が左足首負傷で出遅れていることも高齢化に拍車をかけているようだ。昨季まで重要なバックアップ役を担っていた谷口博之や狩野健太(ともに柏レイソル)、青山直晃(ヴァンフォーレ甲府)、松本怜(大分トリニータ)ら中堅世代がごっそり移籍し、主力と控えの実力差が如実に感じられる状況になったと言っていい。
2011年から3年連続でキャプテンマークを巻くことになった中村は「J全体を引っ張るっていう意識はないけど、俺自身は死にもの狂いでやるつもりだよ」と今季に懸ける強い意気込みをのぞかせた。
若手の海外挑戦に前向きな中村
プロ1年目はハビエル・アスカルゴルタ監督の「育てながら使う」という方針の下、後半途中からの出場がほとんどだったが、リーグ戦27試合出場5得点と高卒ルーキーとしては好スタートを切ることができた。主力に定着した2年目の98年は33試合出場で9ゴールをマーク。その後も順調に飛躍し、00年には横浜FMの第1ステージ制覇に貢献するとともに、史上最年少の22歳でのJリーグMVPを獲得した。ところが翌01年はまさかのJ2降格危機に直面。やっとの思いでチームをJ1残留させることに成功した中村は、それを置き土産に02年夏にイタリアへと渡った。当時は「日本代表の主力になってから海外へ出ていく」というのが日本人選手の成功モデルと見られていたため、24歳の欧州挑戦も決して遅くはなかった。
そこから8年間、イタリアとスコットランド、スペインでタフで激しいフットボールに身を投じた。欧州チャンピオンズリーグで日本人初のベスト16入りやスコットランド・プレミアリーグでMVPを獲得するなど、彼の残した足跡が次世代の日本人選手の道を開くことになったのは確かだ。だからこそ、中村は今の若手の海外挑戦を前向きにとらえている。
「若くて良い選手が海外へ行くのはすごく良いこと。どんどん出て行ってほしいと思っている。(小野)裕二のベルギーにしてもそうだけど、やっぱり挑戦することは大事。環境を変えることで新しい人とのつながりができたり、視野が広がったりするし、いい意味で揉まれるからね。Jリーグが空洞化したと言われるかもしれないけど、選手個々のレベルが上がるのは日本サッカーにとっても結果的にプラスだと思うよ」と彼はしみじみ言う。中村と同い年でずっと国内でプレーしてきた山口智は「若いトップ選手とガチンコでやれる機会が減って寂しい気がする。90年代を知っている僕らとしては以前より張り合いがないですね」と複雑な心境をのぞかせたが、海外経験者との意見の相違があるのは、仕方のないことかもしれない。
ただ、山口が指摘するように、Jリーグの環境はここ10年で一変した。90年代を盛り上げたストイコビッチやドゥンガのような世界的な外国人選手は去り、アジア枠の韓国人やオーストラリア人かブレイク前のブラジル人選手が助っ人の大半を占めていた。香川や本田圭佑(CSKAモスクワ)のように20歳そこそこで海外に出ていく選手も増え、スター不在が叫ばれるようになっていたのだ。円熟期を海外で過ごし、10年春に横浜FMに戻ってきた31歳(当時)の中村も、そのことを少なからず感じたはずだ。