香川が痛感する「新たな自分」の必要性=こだわりに変化を与えたプレミア移籍
すれ違いを繰り返した日本の両エース
互いのけがで同じピッチに立つことは少なかった香川(10番)と本田(4番)。ラトビア戦では二人のコンビとしての初得点が生まれた 【写真:アフロ】
香川と本田のホットラインから得点が生まれたのは2010年10月のザックジャパン発足以来初めて。そもそもこの2年間、両エースが一緒にピッチに立った回数は意外なほど少ない。入れ違いの発端は11年アジアカップ準決勝の韓国戦で、香川が右足第5中足骨を骨折してからだ。半年間の離脱を経て、彼は8月の韓国戦(札幌)で復帰し、本田とともに宿敵を3−0で撃破する原動力となった。ところがこの直後、今度は本田がロシアで右ひざを負傷し、代表から9カ月間も遠ざかる。2人が次にそろったのは昨年6月の14年ブラジルワールドカップ(W杯)アジア最終予選の序盤の3連戦だった。ここから両エースを軸とした攻撃の連係を本格的に確立できるはずだったが、悪循環は続き、9月のイラク戦(埼玉)を香川が腰痛を訴えて欠場する。今度こそはと思われた10月の欧州遠征では本田が右ふくらはぎ打撲でほとんど練習ができず、ぶっつけ本番でブラジル戦(ブロツワフ)に出ただけだった。11月のオマーン戦(マスカット)は香川が左ひざを負傷し招集見送りと、本当に両雄が並び立たなかった。
「世界と戦うことを考えた場合、真司との関係はすごく大事になる」と本田が言い、香川も「今の代表は圭佑君のところにボールが入った時は形になりつつあるけど、それ以外の形がもっと必要。トップ下だけじゃなくて、いろんなところで攻撃のスイッチを入れられるようにならないとダメ」と切実に語っていただけに、ラトビア戦で2人のコンビが一歩前進したことに香川自身も手ごたえを感じたはずだ。
新境地開拓への強い意欲
この2得点に象徴されるように、ラトビア戦の香川は左サイドで先発しながら、中へ外へと柔軟に動いて得点をおぜん立てした。トップ下で大成功を収めたドルトムント時代は「代表で左サイドをやるのは頭の切り替えが難しい」と戸惑いを口にし、効果的な動きができないことが多かった。しかし、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)で多彩なポジションで起用されるようになってから、トップ下への強いこだわりを消し去った印象が強い。
「今回も後半途中からトップ下に入ったけど、そっちの方がやりやすいのは確か。でもマンチェスターでも左で出てますし、どのポジションでやるか分からないから、今はプレーの幅を広げる必要があると思っている。どこでやっても自分の形をもっと作れるようにやっていきたいですね」と香川は新境地開拓への強い意欲をみなぎらせた。