躍進する桐光学園が得た“最後の一歩”=挫折を経て作り上げた堅牢な守備組織

平野貴也

桐光学園を支える攻守のコンセプト

全国高校サッカー選手権大会で16年ぶりにベスト4進出を決め、躍進する桐光学園 【写真は共同】

 神奈川の名門、桐光学園が16年ぶりに注目を集めている。第91回全国高校サッカー選手権大会でのベスト4進出は、中村俊輔(横浜F・マリノス)を擁して準優勝を果たした第75回大会以来となる。その間、中村のほかにも藤本淳吾(名古屋グランパス)、本田拓也(鹿島アントラーズ)、田中裕介(川崎フロンターレ)らプロ選手を多く輩出してきたが、思うような成績が出ない年が多かった。

 激戦区の神奈川を勝ち抜くのは容易でなく、全国的に名を知られる強豪チームでありながら、この大会の出場回数は7回と少ない。しかし、今季は確実な手ごたえとともに躍進を見せている。初戦では前回準優勝の四日市中央工業(三重)を4−2で撃破した。3回戦は佐賀商業(佐賀)を3−0と完封し、準々決勝では作陽(岡山)に苦戦を強いられたが、アディショナルタイムのゴールで試合を制する勝負強さを見せた。

 チームの特長は、堅実な守備をベースとした勝負強さ。作陽戦で見せた“最後の一歩”を踏み出してのシュートブロック連発は、守備意識の高さの象徴的な場面だった。準決勝に向けた練習の開始日となった8日にも、これまでの試合の映像を見ながら、守備時の体の向きなど細かい部分をチェックし、ぬかりはない。

 攻撃面に目を移すと、選手の個性が際立つ。4バックの両サイドは運動量が豊富で攻撃参加が多く、特に右DF大田隼輔は激しいアップダウンで観衆の目を奪う。中盤は大会きってのプレーメーカーである松井修平がパスワークを支え、スピードと技術を兼ね備えた橋本裕貴がドリブルで突破を図る。前線は、プリンスリーグ関東1部の得点王で一瞬のスピードに優れる野路貴之と、中学時代にはサッカーと並行して取り組んでいたラグビーでウイングやセンターを務めていたというフィジカル能力の高い市森康平がツートップを組む。桐光学園のサッカーを彩る「チーム全体での堅守」と「個性を組み合わせた攻撃」は、名将が苦難の末に行き着いたスタイルだ。

チームを変えた結果へのこだわり

 かつては、より攻撃に比重を置いたサッカーを展開していたが、2009年にプリンスリーグ関東で出場権を獲得して出場した高円宮杯(現在はリーグ戦となっているが、当時はグループリーグと決勝トーナメントが行われていた)では、典型的な堅守速攻型のチームに変わっていた。攻撃でシンプルにボールを動かさずにアイデアを練ったプレーをすると「余計なことをするな」とベンチから指摘が飛んでいた。佐熊裕和監督は「あれは、自分たちのストロングポイントができる前の段階だからです。余計なことをするなというより、アイデアを練ったプレーができなかった。その結果、変な形でボールを失い、やられてしまいます」と話した。当時はJユースを相手に健闘を見せたものの、その内容に華麗さはなかった。しかし、細やかな組織の構築と意思統一を辛抱強く行い、チームの土台となる守備の強さを作り上げた。今では守備が安定し、かつての技術、スピード、パワーを生かした攻撃もよみがえりつつある。

 方針転換のきっかけの一つは、この大会になかなか出られないことだった。第79回、第80回大会の神奈川県予選は決勝戦で、第81回大会は準決勝でいずれもライバルの桐蔭学園に敗れた。佐熊監督は「以前は『負けたとしても内容が大事なんだ』という、逃げるような考え方をしていた時期もあった。もちろん、今でも勝てば何でもいいわけではない。ただ、経験を積んで『勝利と内容は、同時に追求できる』と思うようになった」と、結果へのこだわりを強めた経緯を明かした。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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