“真の復活”へ、川口能活が踏み出した未来への一歩=大けがを乗り越え、9か月ぶりに復帰

元川悦子

指揮官が送った最大級の賛辞

こぼれ球を懸命にセーブするGK川口(左)。9か月ぶりの復帰戦で勝利とはならなかった 【写真は共同】

 2012年のサッカーシーズンも残りわずかとなった12月15日の天皇杯4回戦、鹿島アントラーズ対ジュビロ磐田。カシマスタジアムのピッチにベテランGKが満を持して現れた。今年3月22日の練習中に右アキレスけん断裂の重傷を負い、9カ月もの間、懸命のリハビリに励んでいた37歳の守護神・川口能活がようやく公式戦の場に戻ってきたのだ。今季中の復帰は難しいと見られていただけに、このニュースは日本中のサッカーファンを明るい気持ちにさせてくれた。

 朗報に勇気づけられた磐田はFW前田遼一が開始1分に早々と先制。幸先のいいスタートを切った。しかし、それから5分もたたないうちにCKから岩政大樹に同点弾を決められ、前半のうちに再びリスタートからドゥトラにも2点目を献上してしまう。川口に勝利をプレゼントしたい磐田は必死に巻き返しを図るが、なかなかゴールが奪えず、逆に後半、遠藤康のFKからジュニーニョに3点目をたたき込まれた。これで万事休す。悔しいことに彼らは大黒柱の復帰戦を飾れなかった。

 それでも、森下仁志監督は「約9か月間休んでいたとは思えないほどのゲーム勘だったし、能活らしさを今年中に出せたのは次につながる。本当に重要な選手であることを証明してくれたと思います」と彼に最大級の賛辞を送った。指揮官はJリーグ最終節のガンバ大阪戦から2週間の川口の動き、ドクターの判断を考慮して先発起用を決断したようだ。本人も「もしかしたら」という予感があり、いつ出てもいいように準備をしていた。試合後に「9カ月ぶりの公式戦だったわりには体が動いた」とコメントしたのも、十分なトレーニングを積み、用意周到な準備をしていたからに違いない。ただ、比類なき負けず嫌いで知られるこの大ベテランが敗戦という結果に納得するはずがない。「けがでこの1年を棒に振って悔しい思いをしたし、それを来季にぶつけたい気持ちが強いです」と、再起をあらためて誓った。

数えきれないほどの挫折と苦悩

 1994年に清水商業高校から横浜マリノス(現横浜F・マリノス)入りし、プロキャリアをスタートさせてから、川口能活のサッカー人生は紆余(うよ)曲折の連続だった。96年アトランタ五輪での『マイアミの奇跡』(編注:28年ぶりに五輪に出場した日本がブラジルを破った試合を指す)、98年フランス大会初出場に始まる4度のワールドカップ(W杯)参戦、国際Aマッチ116試合という歴代3位のキャップ数、日本人GK初の欧州移籍と彼の経歴は実に華々しいが、その分、数えきれないほどの挫折や苦悩も味わっている。

 ポーツマス(当時イングランド2部)時代はチームの不振の責任を負わされ、2年以上もピッチから遠ざかることになり、ノアシェラン(デンマーク)時代も思うような活躍はかなわなかった。日本代表でも、02年日韓W杯では楢崎正剛とのポジション争いに敗れ、レギュラーを奪回した06年ドイツW杯ではオーストラリア戦での屈辱的逆転負けのA級戦犯として扱われた。10年南アフリカW杯も一度は岡田武史監督率いる日本代表から外され、指揮官から「チームのまとめ役になってほしい」と請われての代表入りだった。本人としては複雑な胸中だったに違いないが、「どんなことにも逃げないのが自分らしい生き方。プレーできる可能性は低いかもしれないけど、自分にできることはすべてやろうと思いましたね」とポジティブに頭を切り替え、日本の中立地でのベスト16進出に貢献したのだ。

辛抱強く完治を信じ、体を鍛え続けた

 GKというのは危険と隣り合わせのタフなポジションだけに、けがはつきものだ。過去に何度もリハビリ生活を余儀なくされているが、09年9月の京都サンガF.C.戦で負った右すね骨骨幹部骨折は選手生命を左右するほどの重傷だった。完全復帰には約1年を擁し、彼自身も実戦復帰までの道のりの険しさを痛感したという。今回のアキレスけん断裂は、この大けがを乗り越え、何事もなく順調に30代半ばに差し掛かった矢先の出来事。本人も回復過程には極めて慎重にならざるを得なかった。

 アキレスけんというのは多少の負荷がかかるだけで再発の恐れがある厄介な部位だ。治りかけでプレーして、再び切れるケースは草サッカーの選手でも頻繁に見られる。今年8月に37歳になった川口にしてみれば、そんな事態になれば現役続行に黄信号が灯るかもしれないという危機感も強かったはず。ゆえに、かつてないほど慎重に慎重を重ねたのだ。

 負傷から半年が経過した今年9月にインタビューした際も「再発だけは絶対にさせたくない。無理はできないから、メディカルとも相談しながらうまく調整したい」と強調していた。その時点ですでにジャンプしながらのキャッチングなど負荷の大きいメニューをこなしており、「異常がなければ9月末にはGKトレーニングを週4回に増やして全体練習にも部分合流し、10月には完全合流して、11月にはピッチに戻りたい」と意欲的だった。しかし、最終的にガンバ大阪のJ2降格で注目を集めた12月1日のJ1最終節もベンチ外。地味で過酷なリハビリを続けてきた川口自身、一抹の不安がよぎったのではないだろうか。それでも辛抱強く完治を信じ、体を鍛え続けたことで、今回の復帰劇が現実となった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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