“執念”で映画化した、野良犬・小林聡の終わらない戦い

しべ超二

『名無しの十字架』を“執念”で映画化させた野良犬・小林聡 【(C)2012映画「名無しの十字架」パートナーズ】

 2007年3月9日、引退セレモニーで放出された桜のように鮮やかな散りざまでリングを去って5年半、小林聡が映画を携え帰ってきた。失踪したキックボクサーと、「虎対人」の戦いを収めたビデオを追ったノワールミステリー『名無しの十字架』。郷一郎の同名小説に惚れ込んだ小林が、現役時代の異名である“野良犬”そのままの執念で映画化にこぎ着けた作品だ。現在、俳優として第2の人生を生きる小林。小林聡はなぜキック界に残らなかったのか。

全日本キックGMから再び“野良犬”に

小林は失踪したキックボクサーとして出演 【(C)2012映画「名無しの十字架」パートナーズ】

 現役引退後、小林は自身がエースとして活躍した全日本キックのGM(ゼネラル・マネージャー)に就任。選手が嫌がる、しかし観客は喜ぶマッチメイクを展開し、プロデュース興行「野良犬電撃作戦」も成功を収めた。引退後の生活は順風満帆に思われたが、同団体が2009年6月の興行を最後に解散。“野良犬”小林、流浪の人生が再び始まる。
 しかし小林はこの後、後輩のセコンドや練習に付き合うことこそあれ、キック界に“再就職”することはなかった。周囲の多くはジム開設や指導者として後進育成の道へ進むことを望んだが、小林にその選択肢はなかった。自身の引退、そして全日本キックの消滅でキックは小林の中で1つの完結を見ていた。
 高校やプロレス道場でアマチュアや一般会員の指導を行うことこそあれ、「人を育てることに自分の夢を見れない」と、現在もプロキックボクサーの育成は行っていない。思えば小林は、「これからもキックボクシングをよろしくお願いします」と、“後は任せた”といった言葉をすでに引退セレモニーで残していた。

自ら映画化許可を取りつけ資金集めに奔走

公開初日に行われた舞台挨拶 【しべ超二】

 そして小林は引退直後から開始した俳優への転身により力を入れていく。“昔の名前で出る”ことをよしとせず、劇団で1から演技を学び、俳優修業の一環で出会った落語にも挑戦。ダイエットに成功した元肥満という現実とはかけ離れた役柄を演じたり、高座で噺が飛んでしどろもどろになり脂汗をかいたこともある。

 そんな小林が震災後に出会い、「映画化したい」という情熱に駆られたのが『名無しの十字架』だ。原作者に映画化直訴の手紙を書き、許可を取りつけると資金集めに奔走。決まりかけては消え、たびたび企画のストップにも直面したが、小林いうところの「奇跡が奇跡を呼んだ」本作が、12月1日、遂に公開となった。

 公開初日に行われた舞台挨拶に、小林は見慣れぬ茶髪で登場。小林いわく「“燃え尽きた”という意味で髪の毛を白くしようと思ったんですけど、引退した後の井岡(弘樹)さんみたいになっちゃってすいません」とのことで、この辺りの分かりづらいギャグを挟んでくるところが小林らしい(さらにあまり伝わってないと思ったようで、2回目のコメントでも「真っ白な灰になったつもりだったんですけど、引退した後の井岡さんみたいになっちゃって……」と再び被せてきた)。

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著者プロフィール

映画ライター。ペンネームは『シベリア超特急2』に由来し、生前マイク水野監督に「どんどんやってください」と認可されたため一応公認。松濤館空手8級。

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