佐藤寿人、偉大なストライカーが持つ特別な才能=“感謝”の気持ちとともに戦い続ける
「佐藤寿人」という名前を力強く刻みこんだ1日
MVPのトロフィーをかかげる佐藤。チームタイトルを含め計6冠に輝く 【写真は共同】
優勝チーム紹介時を合わせて5度、スピーチ台の前に立った佐藤は、その多くを「感謝」の言葉に費やした。息子のサッカーのために繁盛していたラーメン店をたたみ、転職・転居を決断した父と母。生まれた時から側にいてシュート練習にも付き合ってくれた、双子の兄であり良きライバルでもある佐藤勇人(現ジェフ千葉)。どんな時も背中を押して支え続けてきたサポーター。もちろん、森保一監督やスタッフたちへの感謝も惜しまない。
その中でもすべてのスピーチで特に強調していたのが、「チームメート」への感謝だ。
「僕のゴールのほとんどは、自分個人で奪ったものではなく、チームメートたちの助けがあったからこそ」
得点王獲得のスピーチで寿人が語ったこの言葉こそ、佐藤寿人というストライカーの本質。彼が偉大なのは、その本質を誰よりも理解していることだ。
青山の成長を促した厳しい要求
2006年、佐藤は一人の若者の精密かつパワフルなキックに着目する。パワーだけでなくシュートしやすい柔らかな質も伴うパスも出せる彼の名前は青山敏弘。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現浦和レッズ監督)が就任時からその才能を高く評価し、抜てきした若者だ。
だが、そのころの彼はパスを「散らす」ことはできても、「勝負」の縦パスを出すことにチャレンジできていなかった。そこで佐藤は、彼に対して常に高い要求を突き付け続ける。若い選手には、経験がないだけにミスを怖れる気持ちがある。だがその殻を破らないと、上のステージにはいけない。若きボランチの天賦の才を認めていたからこそ、佐藤は青山に厳しさで接した。
「今のタイミングで、チャレンジできなかったのか。前を向け。一番危険なところを見てくれ」
練習から、青山を叱咤する。ピンポイントの精度を、コンマ何秒かのタイミングを求め続ける。その上で、彼がボールを持った瞬間に裏へと飛び出し、自分の間合いを青山に教え込んだ。ストライカーは妥協のない姿勢を見せ続けることで、若きパサーに「チャレンジ」の重要性を示し、彼もまたエースの厳しい要求に歯を食いしばって応え続けた。
2008年、青山は佐藤の28得点中7点をアシスト。どんな深い場所からでも一発でゴールにつなげる彼ら二人のコンビはいつしか「ホットライン」と呼ばれるようになった。
2012年4月7日。ガンバ大阪戦の前半、高い位置でボールを奪った青山が、一瞬の迷いもなく佐藤に縦パスを送った。柔らかなファーストタッチで持ち出したストライカーは美しいシュートで見事な仕上げを見せ、J1通算99点目を記録する。また11月7日のコンサドーレ札幌戦では、60メートル近いロングパスを出したパサーの挑戦に鋭く応え、左足ダイレクトシュートを広島のエースはたたき込んだ。
「僕のパスと寿人さんの動きがマッチすれば、どんなチームも止められない」と、青山は自信を見せつける。
「札幌戦のゴールも、寿人さんは普通に決めているけれど、本当は『普通』ではない。僕のパスにしても、自分が出したという感覚ではなく、寿人さん(の動き)にパスを引き出されているのが、本当のところ」
今季、見事にベストイレブンに輝き、日本代表の有力候補ともうわさされる青山の成長には、今も間断なく繰り返される佐藤の厳しい要求が存在する。そしてそれが、佐藤寿人自身の「得点」という形で還元される好循環も生んでいる。