日本人が最も愛したフェラーリF1マシン=プロストが駆った美しき駿馬

GP Car Story編集部

F1ブームに酔った日本

1990年、プロストが駆ったフェラーリ641/2はポテンシャルの高さを見せた 【i-dea】

 今から22年前の1990年、あなたはどこで何をしていただろうか? バブル景気に沸いていた当時の日本は、世界経済の中心にいたと言っても過言ではなかったと思う。ちょうどそのころ、ニッポンは空前のF1ブームの真っ只中にもあった。現在30代の人たちの中には、あの“F1熱狂時代”を覚えている方も少なくないはずだ。

 男性ファンが大半だったモータースポーツがあれほどの一大ブームとなったのは、やはり女性ファンを取り込んだことが大きかっただろう。特に若い女性からの高い支持は“異常”とも思え、女性誌やファッション誌がF1特集を組むほどだったのだから……(「セナ様〜」って言いながら、女子がキュンキュンしている某ガソリンメーカーのテレビCMなどもあった)。

 そんなブームの火付け役となった存在として、フジテレビの貢献を無視することはできない。賛否両論あるだろうが、そういったレースに無知な人たちの関心をF1に向けさせたのは、テレビの演出にあったのだと思う。

 言葉は悪いが、あの時代のF1ファンの大半はレースファンではなかった。ある種、ハリウッドや芸能界のスターに向けられる眼差しと同じものがF1ドライバーに向けられていた。それが、あの時代のF1人気をもたらしたのだ。

 フジテレビの“脚色”は見事だった。女性受けするドライバーに“善”のイメージを植え付け、そのライバルを“悪”とした。そして、その周囲の人物関係を見事に描写することで、F1中継をまさにトレンディードラマを見る感覚で観戦させたのである。

 テレビメディアの戦略通り、アイルトン・セナは日本国内で絶大な人気を誇った(もちろん、その多くが女性ファン)。一方、ライバルのアラン・プロストは見事なまでのヒール役となっていく。

世論を二分したセナvs.プロスト

 当時のプロストとセナのライバル関係は、F1そのものを超越するかのような勢いがあった。ふたりの一挙手一投足にF1界全体が翻ろうされるほどだったのだから。88年から本格化した「セナプロ対決」は、マクラーレン・ホンダでのコンビを解消した90年も続く。

 はっきり言って当時のふたりがF1を戦う理由は、最大のライバルを倒すため、それ以外になかったはずだ。プロストはセナを、セナはプロストを……。それによってメンタル的ダメージを負う時もあったが、大きなモチベーションとなっていたことも事実だった。
 そんなふたりだからこそ、彼らが友人になどなれるわけもない。絶対に倒さなくてはいけない相手。やがてその思いだけが増長して憎しみとなり、確執が生まれていく。それが89年、90年の天王山となった日本GPでふたりの接触事故を引き起こすきっかけとなった。

(※89年はプロスト、90年はセナがチャンピオン争いをリードしていた)

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