苦境を乗り越えた長谷部誠が見据える理想像=クラブでレギュラーを奪回、取り戻した自信

元川悦子

最悪の状況から脱し、再浮上のきっかけに

味方のゴールを喜ぶ長谷部(右から2人目)。オマーン戦でもチームを献身的に支える姿勢が光った 【Getty Images】

 11月15日がイスラム歴の新年に当たるせいか、予想以上の大観衆で埋まり、異様な熱気に包まれた14日午後のマスカットのスルタン・カブース・スタジアム。日本の1点リードで迎えた後半32分、開始当初から本田圭佑を徹底マークしていたアンカーボランチ・ムバラクの鋭いFKがゴール右隅に吸い込まれた。この瞬間、スタンドから地鳴りのような大歓声が沸き起こる。日本は小さなミスから敗色濃厚だったオマーンに希望を与えてしまった。

 会場全体が騒然とする中、キャプテンマークをつける長谷部誠はチーム全体を派手に叱咤激励した。「顔を上げてやろうぜと伝えたくて。残り10分くらいありましたから」と本人はこの時の心境を吐露した。

 アルベルト・ザッケローニ監督はこの後、清武弘嗣に代えて細貝萌を投入。遠藤保仁を前に上げる策を講じたが、「監督から真ん中に残ってくれと言われた。守備のところを引き締めることしか考えていなかった」と細貝も話すように、セーフティーに行って引き分けOKという考えもどこかにあったのだろう。

 それでも、主将に力強く鼓舞された選手たちは勝ちに行く姿勢を捨てず、岡崎慎司の決勝弾へとつなげる。後半44分の2点目は酒井高徳の左サイドからのクロスも、ニアサイドに飛び出した遠藤のワンタッチも、岡崎の詰める動きもすべてがうまくかみ合った一撃だった。

「失点した後も焦らず我慢して仕掛けていたから、最後にワンチャンスをモノにできた。こういう試合を勝てたのは本当に大きい。年内最後の試合を勝利で終われたんで、監督やコーチたちにもいいクリスマスを過ごしてもらえると思います」と長谷部は試合後、ちゃめっ気たっぷりに安堵(あんど)感を表した。

 10月のフランス、ブラジルとの欧州2連戦の際は、所属先のボルフスブルクでベンチ外が続き、彼自身も自信を失っているように見えた。特にフランス戦ではミスが目立ち、試合後の取材対応でも独特の目力が感じられなかった。が、今回は落ち着きあるプレーと強じんなメンタリティーを前面に押し出した。10月末にクラブで最悪の状況から脱した彼にとって、オマーン戦の劇的勝利は、代表でも再浮上するいいきっかけになったに違いない。

リーグ8試合連続ベンチ外

 2010年のワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会直前に急きょキャプテンマークを託されて以来、長谷部は絶対的リーダーとして日本代表を献身的に引っ張ってきた。11年のアジアカップ優勝も、今年6月から始まったW杯・ブラジル大会アジア最終予選での序盤戦の快進撃も、彼の存在なくしてはありえなかっただろう。

 そんな男に異変が起きたのが、今年8月初旬。かつてブンデスリーガのタイトルを共に勝ち取った恩師、フェリックス・マガト監督から開幕直前のオーストリア合宿に同行しなくていいと告げられたのだ。これは事実上の戦力外通告と見られ、彼は突如として移籍騒動に巻き込まれた。

 しかし、短期間で新天地を見つけるのは極めて困難だ。8月のベネズエラ戦(札幌)の時には「移籍うんぬんの話は何も言いたくない。自分は何をやるにしてもブレることはない」とキッパリ言い切ったが、最終的に残留という最悪のシナリオを余儀なくされた。そして9月以降は一段と苦しい状況に追い込まれる。今季開幕のシュツットガルト戦からリーグ8試合連続ベンチ外というのは、常に冷静沈着な長谷部といえども、さすがに堪えたはずだ。

 サッカー選手というのは、公式戦から遠ざかれば遠ざかるほど、パフォーマンスの低下は避けられない。ブンデスリーガ開幕直後だった9月11日のイラク戦(埼玉)ではフル出場したものの、「90分を何とかこなした感じ。自分の中ではやっててフィーリングの合うところも、合わないところもあった。チームが勝ったのはよかったですけど、個人的には満足できないですね」と自らに厳しい評価を下すしかなかった。

 その1カ月後のフランス戦では一段と動きが悪く、ベネズエラ戦に続いて後半途中に細貝と交代。香川真司の決勝点をベンチから見守るはめになった。「自分のコンディションとかピッチ状態とかは、結局いいプレーができなければすべて言い訳になってしまう。結果を出せていないのが自分の評価。フランスには勝ったけど、世界との差が縮まった気は全然しない」とせっかくの勝利を喜ぶどころか、苦言ばかりが口をついて出た。

 クラブで試合に出られない間に2カ月連続で約10日の代表合宿があったのは、彼にとっての大きな救いとなっただろうが、クラブで試合をこなせないのはやはり辛い。長谷部自身もザックジャパンでの絶対的存在から外される危機をひしひしと感じながら、いかんともしがたい状態にもがくばかりだった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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