長友佑都、列強国との対戦で示した存在感=チャレンジ精神を忘れず、さらなる飛躍誓う

元川悦子

「内容をネガティブにはとらえていない」

ブラジル戦ではフッキ(黄)と再び対峙。長友(青)がFC東京時代に一躍その名を知らしめたマッチアップは大きな注目を浴びた 【写真は共同】

 冷たい雨に見舞われたスタディオン・ヴロツワフ(ポーランド)で16日に行われたブラジル戦。日本代表は12日のフランス戦(サンドニ)前半に相手の猛攻を受け、引いてしまった反省から、あえてラインを上げてコンパクトに戦うという真っ向勝負に打って出た。左サイドバック(SB)の長友佑都も対面するフッキの動きを警戒しつつ、立ち上がりから積極的に前へ出た。本田圭佑が負傷から戻り、前線に確固たる起点が生まれたことで、序盤の日本はフランス戦より明らかにいいリズムでボールを回せていた。

 ところが、ブラジルのカウンターの鋭さとフィニッシュの精度の高さは、日本選手たちの予想を大きく超えていた。前半12分のパウリーニョのトゥーキックのミドルシュートを皮切りに、日本は次々と失点を重ねる。2失点目は長友の裏にアドリアーノ・コレイアが飛び込んでマイナスに折り返したところにカカが飛び込んできて、今野泰幸のハンドを誘ったPKからだった。そして後半開始直後の3点目もオスカルの右CKを長友がクリアしきれずにネイマールにボールがこぼれ、シュートが吉田麻也に当たってゴールに転がり込む形だった。フッキとの1対1でやられることはなかったものの、失点につながる形に関わってしまったことは、長友にとって悔しさ以外の何物でもなかっただろう。

「ブラジルのカウンターのスピードと精度は正直、思った以上だった。僕らもペナルティーエリアくらいまではいい感じで回して運べるんだけど、そこからの相手の守備の質が高かった。向こうの攻撃面でのペナルティーエリア内での冷静さ、スキルの高さっていうのも世界トップレベルだった。僕らがプレッシャーに行っても誰1人慌てる選手はいないし、冷静に状況判断ができて、さらに確実に決めてくる。その最終的な部分の違いは大きいなとあらためて実感しましたね」とコメントする長友はむしろ清々しい表情を見せていた。リスク覚悟で自分たちのスタイルに徹した結果の4失点大敗に納得していたからだろう。

「僕は内容をネガティブにはとらえていない。圭佑たちとも話したけど、心の奥底から燃えてくるものがあったんですよね。それくらい楽しかった。今の僕らはパーフェクトじゃないから、まだまだ伸びしろがあることを感じられたのは大きい。こういう強豪相手との勝負を繰り返していくことが大事なんですよね」と彼は目を輝かせたのだ。

 2年前の2010年ワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会では、日本は自陣で引いて守備ブロックを作る「弱者の戦い」を選ぶしかなかった。が、それを繰り返すことだけはしたくない……。ブラジルという強豪との戦いを経て、長友はさらなる飛躍を強く誓った。

ターニングポイントとなったオランダ遠征

 長友佑都が初めて世界を体感したのは、ちょうど3年前、2009年9月のオランダ遠征だった。オランダ、ガーナという強豪と対峙(たいじ)し、ガーナ戦では自らのミスでPKを献上してしまうなど、強豪との実力差を突きつけられた。「メンタルのブレはなかったけど、チームに迷惑をかけてしまった」と本人も反省しきり。この2戦が彼の大きなターニングポイントになったのは間違いない。

 そこから少しでも頂点に近づこうと地道な努力を続けてきた。W杯直前のイングランド戦(グラーツ)ではセオ・ウォルコットを完封し、本大会でもカメルーン戦(ブルームフォンテーン)でサミュエル・エトオ、オランダ戦(ダーバン)でアリエン・ロッベンやエリエロ・エリアをマークするなど、エースキラーとして一躍、名を馳せた。その後、チェゼーナを経てインテルへ移籍。UEFAチャンピオンズリーグ8強の大舞台にも立った。同じクラブにはウェズリー・スナイデルやディエゴ・ミリートら世界屈指のアタッカーがおり、彼らとトレーニングを積み重ねる中で最大の武器である1対1の強さと運動量に磨きをかけてきた。わずか3年間でここまで飛躍的成長を遂げることができたのは、こうした精進の賜物なのだ。

「フランス代表もいい選手がいるけど、正直、僕はインテルの方がビッグネームがそろってると思ってる。そういう選手と毎日サッカーをやって、自分と世界、日本と世界との差がどのくらいあるのかを常に感じてる。3年前にオランダで戦ったスナイデルが8割の力しか出していなかったことも今になるとよく分かります。気合いの入り方が普段は全然違うからね。そういう経験をしてメンタルがすごく強くなったし、世界でもやれる強い自信も持てた。自信と過信は紙一重の部分もあるけど、自分は絶対に過信することはないし、つねに謙虚さと志を持って取り組んでるつもり。自信やモチベーションが体をマッチした時にどれだけ選手が成長できるかってことは、僕自身が一番学んできたことですね」

 今回のフランス・ブラジル2連戦に挑むに当たって彼は意欲十分だった。その成長を日本代表でも出せるか否か……。それが長友にとっての最重要テーマだったのだろう。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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