“不人気”なブラジル代表の現在地=日本戦はチームの基盤を固める重要な試合に

大野美夏

ロンドン五輪敗戦のショックを払しょく

ロンドン五輪でも活躍した21歳の新星MFオスカル(左)にかかる期待は大きい 【写真:MarcaMedia/アフロ】

 ロンドン五輪でメキシコに敗れ、銀メダルに甘んじたブラジル代表。準決勝までの圧倒的な強さは消え、決勝ではメキシコに全く歯が立たず不甲斐なさばかりが残った。ブラジルのサッカー熱を考えると、金メダルを逃したマノ・メネーゼス監督に対する世論の反応は過激なものが予想されていた。しかし、英国を後にしたメネーゼス監督は、ブラジルに帰国せず欧州に残り、敗戦から4日後の8月15日には、A代表の親善試合のスウェーデン戦に臨んでいる。そのため、実際にどのような反応が待っていたのかを知ることはなかった。

 ダニエウ・アウベス、ダビド・ルイス、ラミレスなどA代表の主力に五輪代表を加えた本当のブラジル代表は、アレシャンドレ・パトの2ゴールとレアンドロ・ダミアンの1ゴールで3−0と快勝した。五輪敗戦のショックを「しょせんは五輪代表にすぎない」という印象で塗り替えることに成功したと言えよう。

ブラジル代表に現れた新星“オスカル”

 ロンドン五輪はフラストレーションがたまる結果だったが、オスカルという収穫もあった。中盤のゲームメーカーで、自らも得点に絡み、ゴール感覚にも優れている攻撃的MFが、五輪で本領を発揮した。2011年9月にセレソン(ブラジル代表の愛称)に初招集されたオスカルは現在21歳。

 本来ならネイマールと同じくらい、もしくはそれ以上の才能を武器に、もっと早くセレソンの主力選手になってもおかしくない選手だった。13歳から名高きサンパウロFCの育成部に入り、クラブの未来を背負う天才選手として嘱望されたオスカルには伝説がある。プロ契約(労働契約)を結べる16歳の誕生日の数日前に、サンパウロはオスカルを雲隠れさせた。なんと当時すでに欧州のクラブから目をつけられていたオスカルを取られまいと、スペインに連れ出し、ほかのクラブの接触を避け、契約書にサインをさせたのだ。

 2008年には、17歳でプロチームに昇格。順風満帆にクラブの中心選手、そしてセレソンへと上り詰めるかと思いきや、トップチームでは出場機会に恵まれず、ついにオスカルはサンパウロとの縁を切って移籍したいと言い出した。

 もちろんサンパウロはそれを許すはずもなく、裁判沙汰になるまで揉めたが、オスカルの意思は固く、インテルナシオナルに移籍した。インテルナシオナルで出場機会を得たオスカルは、水を得た魚のごとき活躍をし、中心選手として再び注目を集めることになる。そして、その活躍が認められU−20ブラジル代表に招集され、2011年に行われたU20ワールドカップ(W杯)では、決勝戦でポルトガル相手にハットトリックをするなど優勝に大きく貢献した。

 インテルナシオナルに移籍しているとはいえ、サンパウロとの移籍交渉は長引き、ようやく2012年6月にインテルナシオナルがサンパウロに1500万レアル(約5億8千万円)の移籍金を払うこと形で和解が成立した。そして、その数日後にオスカルのチェルシー移籍が正式に決まった。移籍金は2500万ポンド(約31億円)、この金額から期待の大きさも分かるはずだ。

セレソンと国民の間の埋まらない溝

 スウェーデン戦の勝利でロンドン五輪敗退の批判はかわせたが、世論の全面的なサポートはないままということは、9月7日にサンパウロ市で行われた南アフリカとの親善試合ではっきりした。試合結果が1−0で辛勝とサポーターを満足させられるものではなかったことに加え、スコアレスの前半からブーイングが飛び始めるなど、全体的にしらけたムードだった。

 選手たちは「サポーターのあたたかい応援があってこそのセレソン、せっかく自国で試合をしているのだから、もっと応援してほしい」と言うが、サポーターにしてみるとスーパースターたちを見るために高いお金を払うのだから、良いプレーが見たいと要求が高くなるのも当然だろう。もしも、これが予選で苦しい戦いしている最中なら、サポーターも何とか勝ってほしいと心からの応援ができるのかもしれないが……。

 南アフリカ戦の後、大都会サンパウロから場所を移し東北部のレシーフェ市で行われた中国戦では8−0の圧勝を収め、観衆からの絶大な応援を受けたが、国民とセレソンの距離はそう簡単には埋まらない。

 では何故選手とサポーターの距離が離れてしまっているのだろうか。その理由として考えられるのは、2012年に入り、セレソンは親善試合を11試合行っているが、そのうちの3試合(うち1試合は国内組のみ)しかブラジルで行われていないことが挙げられる。ほとんどの試合が、欧州で行われるため、放送時間は平日の日中になる。そのため、働いている人や学生にとっては、生中継など見られるはずもない。それに、国内で試合があるときは、集合から練習、試合当日まで細かい報道がなされるが、欧州が舞台の時は、そういうわけにはいかず、必然的に情報不足に陥ることは避けられない。

 選手たちの心と、サポーターの心のすれ違いをパリサンジェルマンに移籍したチアゴ・シウバはとても残念に思っており「個人的には、もっとブラジルで試合をしてサポーターの気持ちを変えたいと思う」と話している。

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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