歴史的一戦で証明された今野泰幸の重要性=攻守にフル稼働、独走ドリブルで決勝点演出

元川悦子

得点に絡むプレーにも長けている

耐える展開が続いた今野を中心とした守備陣は最後までフランスの猛攻を凌ぎきった 【写真:ロイター/アフロ】

 ところが、実際にフランス戦が始まってみると、スタット・ドゥ・フランスの異様なムード、数日間続いた雨をたっぷり含んで滑りやすくなったピッチ、ベンゼマやオリヴィエ・ジルー、ジェレミ・メネスら世界的知名度の高いスターを目の当たりにした日本はフランスの勢いに飲まれた。3トップに加え、ムサ・シソコとブレイズ・マテュイディの両2列目が流動的に動き、さらに両サイドバックも上がってくるような分厚い攻めに翻ろうされ、立ち上がりから防戦一方の展開を強いられる。今野や吉田は懸命に最終ラインを上げようとするも、相手の圧力に押し込まれて下がらざるを得ず、ボールを奪ってもミスパスが続いて攻めの起点を作れない。今野が肌で感じた日本とフランスの差は想像したレベルを超えていたのではないだろうか。

「ちょっとフランスの名前にビビったというか、飲まれたというか、そういうのがありましたね。せっかくボールを奪っても相手に渡してしまったり、縦に急いでまた取られたりとマイボールになる時間が短くて、少し引いてしまった。ベンゼマは中にも入ってくるし、キープ力もあるから、サイドで持たれた時になかなか奪いに行けなかった。前半はかなりきつかったですね」と本人も言う。前半20分くらいまでは気後れしていたこともあり、不完全燃焼感はぬぐえなかった。

 それでも今野はず抜けた状況判断力、対人プレーの強さを備えた選手だ。時間が経過するにつれてジルーやベンゼマのような驚異的なフィジカルを誇る選手にも厳しく寄せることができるようになった。球際の激しさも取り戻し、吉田との連係も目に見えてよくなった。「前半から相手が結構ルーズなのは分かっていたし、ハーフタイムにみんなで『もっと回せる』と話し合った。完全に落ち着いたのは後半から」と言うように、確かに後半には攻撃の起点になるパス出しの回数も増えた。相手の体力が落ちたのも幸いし、彼自身のプレーにも余裕が感じられるようになった。

 こうした尻上がりのパフォーマンスの結末が、冒頭の決勝点のおぜん立てだ。今野といえばボールを奪う能力や1対1の強さに目が行きがちだが、長年のボランチ経験で磨いた大胆な攻め上がりと得点に絡むプレーにも長けている。2003年ワールドユース(UAE)のラウンド16・韓国戦では延長戦で豪快なドリブル突破から坂田大輔の決勝点をアシストしているし、2005年J1最終節でもセレッソ大阪の優勝を阻止する強烈なゴールを奪っている。「なぜ今野がここにいるのか」と人々を驚かせる攻撃面の嗅覚(きゅうかく)をあらためて示したことも、フランス戦の収穫だったといえる。

「試合を振り返ってよかったと思うのは失点ゼロだったこと。それができたのは、いい距離感を保てたからじゃないかな。みんな運動量が多くてカバーに入る選手が常にいたし、1対1になることがほぼなかった。ただ、世界との距離は1試合やっただけじゃ、分からない。こういう試合を何試合もやりたいとすごく感じましたね」と今野は世界への渇望をより一層、強めた様子だった。

より重要なゲームになるブラジル戦

 ただ、フランス戦では相手のパワーやスピード、攻めの迫力に適応するまでに時間がかかりすぎるという課題に直面した。どんな強豪相手でも相手の出方を瞬時に読んで的確に対処していかないと、W杯のような大舞台で勝つのは容易ではない。その瞬間的な適応力をJリーグでプレーする今野がいかにして身に付けるかというのは非常に難しいテーマだ。国内やアジアではフランスレベルのフィジカルに直面することはないし、代表の国際試合も頻繁に組めるわけではない。最終予選突破が早々と決まれば、そういう機会も増えてくるだろうが、今は1つひとつのチャンスを大切にしつつ、確実に成長の糧にしていくしかない。

 フランスと対峙(たいじ)して「ある程度はやれる」という手ごたえを得た今野にとって、16日のブラジル戦はより重要なゲームになる。世界基準に慣れた次こそ、世界トップと自分の距離を測る絶好の機会だ。彼自身の試金石になるといっても過言ではない。ブラジルにはかつてJの舞台を席巻したフッキを筆頭に、ネイマール、レアンドロ・ダミアン、カカら強烈な個の力を誇るアタッカーがズラリと並ぶ。彼らをリスペクトしすぎて受けに回ったら、フランス戦と同じような防戦一方の序盤を余儀なくされるだろう。それを避けるために何をすべきか。まずはメンタルとフィジカルの両面をしっかりと整えることが肝要だが、頭を使ったプレーも必要不可欠だ。いずれにせよ、次なる大一番では「今野泰幸の進化形」をぜひとも見せてほしいものだ。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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