歴史的一戦で証明された今野泰幸の重要性=攻守にフル稼働、独走ドリブルで決勝点演出

元川悦子

サッカー人生の大きな財産に

歴史的勝利を演出したのはまぎれもなく今野(白)だった。自陣からドリブルで独走し、決勝点をおぜん立て 【写真は共同】

 90分間でフランスに20本以上のシュートを放たれ、耐え続ける展開を強いられていた後半43分、日本に千載一遇の得点機が訪れた。フランスの小柄なテクニシャン、マテュー・ヴァルブエナが蹴った左CKのクリアボールに反応し、抜け出した今野泰幸がドリブルで50〜60メートルの距離を独走。右サイドを駆け上がった長友佑都に絶妙のスルーパスを送った。その長友が中央に鋭い折り返しを送った瞬間、エースナンバー10をつける香川真司がゴール前に詰めて右足を一閃。堅牢(けんろう)だったフランスゴールをついにこじ開けた。

 12日に行われたフランスとの親善試合。忘れもしない11年前に0−5の歴史的惨敗を喫した因縁のスタット・ドゥ・フランスで、日本は元世界王者を首尾よく撃破した。「10回戦って1回か2回しか勝てない内容」とキャプテンの長谷部誠が自戒の念を込めて言うものの、勝利という結果を残したのは確かだ。その決勝点をおぜん立てした守備の要は、過去に見せたことのない派手なガッツポーズ披露し、喜びを爆発させた。そのパフォーマンスのために、現地メディアの多くが、得点者を香川ではなく今野と間違って報道したほどだった。

「ドリブルで持ち上がった時にフリーで、後ろから相手が追いかけて来ているのも分かっていたけど、その人があきらめ気味になってくれた。それでどフリーになってどうしようかなと思った時、真司が中に入ってDFを食いつかせてくれた。その時、パッと右を見たら長友がいた。おれは最初、長友が見えてなかったけど、たぶん真司には見えていて、引きつけてくれたんだと思う。だからスルーパスはすごく出しやすかったし、簡単でした。自分が小さいころから見ていたフランスとやれるなんて試合前からすごく興奮してたし、勝ちたい気持ちが強かった。実際に引き分けでなく勝ちきれたのは本当によかった」と彼はいつも通りの淡々とした口ぶりの中に、熱く激しい感情をほとばしらせた。

 今野にとってフランスは長年のあこがれだ。ジネディーヌ・ジダンを擁するスター軍団が赤子の手をひねるように日本を一蹴した2001年3月のゲームのビデオを、彼は何十回も繰り返し見てはすごさを脳裏に焼き付けてきた。「日本代表があれだけ滑ってるのに、フランスは全然滑ってない。あれは一体何だろうと。あの技術の高さ、崩しのイメージを含めて好きでした」と本人もしみじみ語っていた。ゆえに、誰よりもこの対戦を心待ちにしていたし、勝利への執念も強かった。そんな思い入れの深い大一番で攻守両面でフル稼働したことは、彼のサッカー人生の大きな財産になるに違いない。

海外組に比べて劣る経験値

 2010年秋のザックジャパン発足からコンスタントに最終ラインを統率してきた今野。その彼が6月のワールドカップ(W杯)・アジア最終予選序盤3連戦で通算2枚の警告を受け、9月11日のイラク戦は出場停止となった。これにより、8月のベネズエラ戦、9月のUAE戦、イラク戦の3試合に関しては、代表招集を見送られた。その間、アルベルト・ザッケローニ監督は伊野波雅彦を代役に抜てき。しかし、伊野波は右ひざに負傷を抱えており、その影響もあってなかなか守りが安定しなかった。イラク戦は前田遼一のゴールで何とか無失点勝利を収めたものの、今野の必要性があらためて浮き彫りにされたのだった。

 迎えた今回の欧州遠征2連戦。今季からプレーするガンバ大阪で守りの乱れに苦しむ中、代表に呼び戻された彼は、強く気持ちを引き締めて渡欧した。「代表っていうのはその時その時、いい選手が出るだけだし、呼ばれたら全力を尽くさなきゃいけない。僕も今まで選ばれてたというのは抜きにして、1から新鮮な気持ちでやろうと思ってきました」とフランス戦直前の練習時も神妙な面持ちで話していた。

 しかもフランス、ブラジルという相手はザックジャパン発足後、アジアとの対戦に終始してきた彼らにとってけた外れに強い相手にほかならない。今や日本代表守備陣の主力はGK川島永嗣がスタンダール・リエージュ、サイドバックの内田篤人がシャルケ04、酒井宏樹がハノーファー96、長友佑都がインテル、センターバックの吉田麻也がサウザンプトンと海外組が大半を占める。常に世界基準を目の当たりにしている彼らに比べると、国内でプレーしている今野はどうしても国際経験値で劣る。2003年ワールドユース(現U−20W杯)、04年アテネ五輪と世界大会出場実績はあるものの、10年W杯・南アフリカ大会はケガでほとんど出られなかっただけに、今回の2連戦は「世界の中でどれだけやれるかを測る重要なチャンス」と本人も位置づけていたようだ。

「これだけの相手とやるのは初めてに近い。Jのレベルと違うかどうかはやってみないと分からないし、出たこと勝負になるのかな。でも自分としてはなるべく自分たちで主導権を握るサッカーをしたい。ただ守るだけじゃなくて、奪った後にしっかりつなぎながら相手ゴール前まで押し込みたい。守備にしても(カリム・)ベンゼマたちを1対1で守るのは難しい。チャレンジ&カバーを徹底して、1人が抜かれてもまた次が行けるような距離感を保つことが大事だと思う」と頭の中で自分なりにポイントを整理している様子だった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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