日本馬の凱旋門賞挑戦、その歴史を振り返る

JRA-VAN

99年エルコンドルパサー2着、世界の頂が見えた

1999年エルコンドルパサー2着で世界の頂点が見えた(写真は98年ジャパンカップ) 【写真は共同】

 近年、日本のGIホースたちが果敢に挑戦し続けているフランスの凱旋門賞。世界中の競馬関係者やファンなら誰しもがその名を耳にしたことがある世界最高峰のレースだ。今年で91回と歴史的にも深く、ヨーロッパ競馬の伝統と威厳が詰まった格式高いレースと言える。

 そんな凱旋門賞の歴史上では、1969年のスピードシンボリが初の日本遠征馬となり、現在まで11頭の精鋭が世界の頂点を目指して海を渡った。1960年〜1980年代までは「日本馬が凱旋門賞制覇など100年は無理」と言われる時代だったこともあり、ごく稀に挑戦者が現れる程度。結果を見てもスピードシンボリ(1969年)が10着。続いてメジロムサシ(1972年)が18着。シリウスシンボリ(1986年)が14着。国内最強と言われるレベルの馬たちでさえ全く太刀打ちできない状況だった。

 しかし、1990年代に入るとジャパンC(JC)をはじめとする国際競走の活性化によって急激に日本競馬のレベルがアップ。年々、世界との距離は縮まっていき、20世紀末には遂に世界と互角に渡り合える日本馬が登場する。3歳でJCを制したエルコンドルパサーだ。同馬はJC勝利で国内に敵なしと踏んで、古馬になってからは春先の早い時期から渡仏。現地で凱旋門賞へ向けて3つのレースに出走する。初戦こそ僅差の2着に敗れたが、2戦目のサンクルー大賞では2着以下を引き離しての勝利。仏GI初制覇を決めた。そして、前哨戦のフォワ賞をも優勝。万全な状態で本番へ駒を進める。

 レースでは最大のライバルと言われたモンジューとの一騎打ちとなり、最後は半馬身差の2着に敗れた。それでも多くの日本の競馬ファンは彼の好走を称え、世界の頂が目前に迫ってきていることを認識し、そこへ日本馬が登りつめる瞬間が近づいているという期待感を抱いた。

06年ディープインパクト、歴代最強の挑戦も……

歴代最強馬の挑戦と言われたディープインパクト(右)も3位入線、その後失格という後味の悪い結果に 【スポーツナビ】

 エルコンドルパサーの挑戦後はマンハッタンカフェ(2002年)、タップダンスシチー(2004年)が出走したものの、共に見せ場なく2桁着順。特にタップダンスシチーは飛行機のトラブルで予定通りに日本を飛び立てず、フランスに到着したのがレースの2日前。別の意味で海外遠征の難しさを知った年でもあった。

 そして、日本が国を挙げて大いに盛り上がりを見せたのが2006年のディープインパクトの挑戦だ。ディープインパクトは言わずと知れた無敗の3冠馬。古馬となってからの勢いも留まるところを知らず、間違いなく過去に海外へ挑戦した馬の中で歴代最強の挑戦者と言える。そんなディープインパクトには、当然の様に海外メディアの注目度も高く取材陣も殺到。陣営も通常では考えられない異質な取材攻勢に応対するのがやっとという状況下で本番を迎えてしまった。

 レース当日は前年の覇者ハリケーンラン、前年のBCターフ優勝馬シロッコを抑えて堂々の1番人気(日本人が記念単勝を大量に購入したからという事もあるが……)。レースでは先行策から直線で抜け出しにかかったが、残り100m地点でレイルリンク、プライドの2頭にかわされて結果は3位入線。ヨーロッパ独特の深い芝への対応に加え、馬齢による斤量差(勝ったレイルリンクは3歳馬でディープインパクトより3.5kgも軽い)など、様々な課題も残るレースとなってしまった。さらにはレース後の検査でディープインパクトから禁止薬物(気管支治療薬で日本でもフランスでも認められているが、レース前までに体内から抜けきらないとならない)が検出されて失格処分。何とも後味の悪い日本競馬史上最強馬の挑戦となってしまった。

そして12年オルフェーヴル、日本競馬界の夢は現実となるか

今年挑戦するオルフェーヴルは日本競馬界の夢を実現させるか 【Photo:PanoramiC/アフロ】

 この後はメイショウサムソンの挑戦(2008年・10着)を経て、2010年には史上初となる複数の日本馬による凱旋門賞出走が実現。ヴィクトワールピサとナカヤマフェスタの2頭だ。3歳馬の方が斤量面で有利になるレースということで、ヴィクトワールピサは日本馬初となる3歳での挑戦。また、ナカヤマフェスタは1999年2着のエルコンドルパサーと同じ調教師、騎手とのコンビでリベンジを狙うこともあり、この年も期待と注目が集まっていた。

 そして、レースでは最後の直線で大いに日本の競馬ファンが沸き上がることになる。道中は中団を追走していたナカヤマフェスタがスッと抜け出して一旦は先頭に立つ。誰しもがあと少し手を伸ばせば長年の日本競馬界の夢である凱旋門賞制覇を掴めると思ったことだろう。しかし、最後はインコースを強襲したワークフォースと叩き合いの末、僅差の2着に敗れた。欧州最高峰のレースを取ることは困難であり、僅差ながらもその着差は極めて長い距離であることも思い知らされた。

 この翌年に再びナカヤマフェスタは凱旋門賞に挑戦。今度はヒルノダムールと共に参戦となったが、結果はナカヤマフェスタが11着。ヒルノダムールが10着。

 こんな日本馬の凱旋門賞挑戦の歴史を経て、今年はディープインパクトと同等の期待を背負って3冠馬オルフェーヴルが渡仏。前哨戦のフォワ賞を快勝したこともあり、彼の評価は現地でもウナギ昇りとのこと。日本馬による凱旋門賞制覇という大きな夢が今年こそ現実のモノとなってくれることを祈りたい。

text by Kazuhiro Kuramoto
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