藤野大樹、ロンドンの悔しさをリオで晴らすための一歩=フェンシング日本選手権個人戦
つかむことができなかったロンドンへの切符
三宅、淡路という銀メダリストを破り、日本選手権2連覇を果たした藤野 【写真:戸村功臣/アフロスポーツ】
今季、残りの大会は欠場することを早々に表明していた太田雄貴(森永製菓)を除く、3名のメダリスト(千田健太、淡路卓=ともにネクサス、三宅諒=慶大)にとって凱旋(がいせん)試合となるはずの、全日本選手権(9月7〜9日)。
しかし、2日目の男子フルーレ決勝戦で対したのは連覇を狙う藤野大樹(ネクサス)と、2年ぶり4度目の優勝を狙う福田祐輔(警視庁)だった。昨年と同じ顔ぶれであり、五輪出場を逃した2人である。
積極的に前へ出る攻撃型の藤野と、相手の出方に応じて堅実な守りから攻めを繰り出す福田。公式戦で何度も対戦しているだけでなく、普段から「チームJAPAN」の一員として共に練習してきた、互いを知りつくした両者の対戦を制したのは、藤野だった。
「ロンドンに出られない悔しさを、どこにぶつけていいのかわかりませんでした。でもこの大会でこうしてぶつけることができてよかったです」
負けたくない理由があった。
2012年5月、五輪に向けて、最後のワールドカップがソウルで開催された。 団体戦のメンバーとして五輪出場を狙う日本選手にとって、この大会は代表入りを懸けた最後の試験の場でもあった。
団体戦のメンバーは4名。エースの太田と、ランキングで太田に次ぐ千田の出場はほぼ確定していたが、残る2つの椅子を最後まで争っていたのが、三宅、淡路、そして藤野の3人。高校時代に17歳以下の世界選手権を制するなど、若手の中でも有望株として期待を集め、ワールドカップやグランプリの出場回数で常に一歩リードしてきた三宅、淡路に対し、藤野はランキングでも2人に大きく後れを取っていた。それでも「1つ1つの試合、チャンスをものにするしかない」と、一戦必勝の覚悟で迎えた3月のドイツ・ボンでのワールドカップ団体戦では日本の3位入賞に貢献するなど、与えられた課題をクリアし続けてきた。
だからこそ、五輪前最後のワールドカップとなるソウルでの個人戦に懸けていた。
「ここでメダルを獲るしかない。それができなければオリンピックはない、と思っていました」
結果は67位。ロンドンへの夢が、途絶えた瞬間だった。
目に焼き付けた銀メダルの歓喜、そして芽生えた悔しさ
個人戦では2回戦、3回戦で敗れた仲間たちが、わずか5日後の団体戦では格上の中国、ドイツを打破し、決勝進出を果たした瞬間もスタンド席の最前列から見ていた。自分たちに向けて、「やったぞ!」と拳を突き上げる太田の姿に、胸が震え、気づけば同じように両手を突き上げていた。
首にメダルをかけることはできなくても、チームの一員として喜びを分かち合っていた。だが、無数のフラッシュがたかれ、喜びのコメントを求められる4選手の横で、荷物をまとめ、サポート役に徹する自分に目を向けた時、また別の感情が芽生えた。
「何をやってるんだ、と。あの場にいたからこそ、とにかく、悔しかったです」
帰国後、連日メダリストたちのテレビ出演や、イベント出演のニュースが続く。
「あえて見ないようにしていました」
ただひたすら自分と向き合い、4年後はどうなりたいか。これからのことを考えた。練習を再開してからも、万全な状態まで仕上がったわけではなかったが、悔しさを晴らす。ただそれだけをモチベーションにして、迎えたのが「連覇」を狙う日本選手権だった。