第4のセンターバック、伊野波と水本の現在=イラクとの決戦で今野の穴埋め役を担うのは?

元川悦子

伊野波と水本の見極めに全力を注いだザック

右ひざの負傷による違和感が消えていないという伊野波。コンディションが気がかりだ 【写真は共同】

 6月12日のオーストラリア戦(ブリスベン)で、今野泰幸と内田篤人が2014年ワールドカップ(W杯)・ブラジル大会のアジア最終予選、通算2枚目のイエローカードをもらい、さらに負傷離脱した吉田麻也の穴を埋めていた栗原勇蔵も退場したことで、9月11日の第4戦・イラク戦(埼玉)での守備陣再構築は必須のテーマとなった。2011年アジアカップ優勝時から内田、吉田、今野、長友佑都の4バックは鉄板で、チームの重要な軸となっていただけに、それを大きく変えるのは、やはりリスクを伴う。アルベルト・ザッケローニ監督も慎重に物事を運ぼうと思っていたはずだ。

 指揮官は8月のベネズエラ戦(札幌)からテコ入れに着手。内田の右サイドではベテラン・駒野友一がしっかりとしたパフォーマンスを披露し、すぐさまメドが立った。しかしセンターバックは計算外だった。ベネズエラ戦では代役候補一番手と目されていた伊野波雅彦が吉田とコンビを組んで先発したが、ビルドアップのミスからピンチを招くなど安定感を欠いた。後半から出場した新戦力・水本裕貴もザックジャパン初戦ということで連係不足を露呈。失点に絡んでしまい、合格点を与えられなかった。

 この厳しい現実を踏まえ、ザック監督が2度目のテストの場となった6日のUAE(アラブ首長国連邦)戦で何をするかは1つの注目点だった。最近のJリーグでは岩政大樹がまずまずの働きを見せており、高橋秀人もセンターバックとして活躍しているだけに、そんな新戦力の活用も1つの手と考えられた。だが、指揮官はかたくなまでに伊野波と水本にこだわった。今回もまた2人を前後半45分ずつプレーさせ、見極めに全力を注いだ。

「今のザックさんにはデカいDFを2人並べるっていう選択肢はないと思う。この2年間、僕は麻也とも栗原君とも組んだことはないから。僕ら3人と今ちゃん(今野)たち3人が別って感じでやってますから、最終予選が終わるまでは変わらないんじゃないですか」と岩政も語っている通り、現時点でザック監督はスピードとカバーリングに長けた今野の代役をこなせるのは、伊野波か水本しかいないと判断しているのだろう。それゆえ、彼らにはUAE戦で指揮官を納得させるパフォーマンスが求められた。しかし、どちらが吉田のパートナーを勝ち取るかという明確な答えは残念ながら今回も見つからなかった。

不安尽きない伊野波「感覚がピークの時と一致しない」

 特に気がかりだったのは伊野波だ。前半14分にFWアリ・アハメド・マブフート (7番)とのヘッドの競り合いに敗れ、裏を取られたシーンを皮切りに、判断ミスが目立つ。この場面では相手がスリッピーなピッチに足を滑らせて転んでくれたことでシュートを打たれずに済んだが、失点につながっていてもおかしくないピンチだった。その後も長友に代わって左サイドバックに入った駒野の背後のカバーリングが遅れたり、ポッカリとスペースを空けたりしてしまう。34分にハミス・イスマイール(9番)にドリブルでの侵入を許し、強烈なシュートを放たれたシーンも駒野と伊野波の距離感が非常に遠かったために起きた現象だ。駒野と伊野波が続けざまに右サイドバックのアブドゥルアジズ・フサイン(26番)に突破された43分のシーンも見る者をヒヤリとさせた。

「自分としてもチーム全体としても前半はなかなか波に乗れなかった。コマちゃん(駒野)が左に入っていつもと違う感じがあって、そのズレもありました。それ以上に問題なのは自分自身の感覚がピークの時と一致しないこと。1カ月くらい前に痛めた右ひざの状態が良くないせいか、スピード感が足りないし、ジャンプとかダッシュとかターンもしっくりこないところがある。7番に競り合いから裏に行かれた最初のピンチも、いつもだったら完全にとらえきれているところなのに、とらえきれていない。自分の中でも『あれっ?』っていうのはあったし、頭で描いたイメージと体の動きがなかなか合わない。メンタルの問題とかじゃないですね」と伊野波は苦渋の表情を浮かべつつ、不振の原因をこう分析していた。

 伊野波が右ひざ外側じん帯を負傷したのは8月4日の練習時。炎症がひどく、水がたまるほどの重症だったが、8月のベネズエラ戦はセンターバックのレギュラーをつかむ千載一遇のチャンスとあって強行出場したという。それから3週間近くが経過し、改善の兆しは見えているが、本人の中での違和感は消えていない。そんな状態で思い切った仕事ができないのは当然のこと。体を張ったプレーが常に求められるセンターバックとしては、かなり厳しい。イラク戦までの調整時間も短いだけに、不安は尽きない。伊野波の状態が良ければ、後半まで引っ張ろうとザック監督も考えていたかもしれないが、彼の動きを見て45分での交代を決断したようだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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