絶頂期を予感させる大阪桐蔭の春夏連覇=第94回夏の甲子園大会・総括

松倉雄太

決勝では14奪三振で完封と光星学院を寄せ付けない圧巻の投球を見せた大阪桐蔭・藤浪 【写真は共同】

 全国の3985チームが参加し、6月16日の沖縄大会から熱戦が繰り広げられてきた第94回全国高校野球選手権大会は、8月23日に決勝が行われて、大阪桐蔭高(大阪)が4年ぶり3回目の優勝。2010年の興南高(沖縄)以来、史上7校目となる春夏連続優勝を達成した。

1試合ごとにすごみを増した藤浪の投球

 史上初の春夏同一カードとなった光星学院高(青森)との決勝。最後まで主役を明け渡さなかったのが、藤浪晋太郎だった。強打を誇るチームを相手に、わずか2安打。甲子園自己最多となる14個の三振を奪って完封した。
「3年間で一番のピッチングをしてくれた」とたたえた西谷浩一監督。藤浪自身も、「粘ることができた」と胸を張った。

 今大会の藤浪は5試合中4試合に登板し全て完投。初戦こそ、木更津総合高(千葉)の4番・高野勇太に一発を浴びたが、試合を経るごとにすごみを増した。準決勝と決勝の連続完封は、西日本短大付高(福岡)の森尾和貴が74回大会で達成して以来20年ぶり。防御率は0.50、被安打率3.50、与四死球率2.25、奪三振率12.25と、どれをとっても素晴らしいとしか言いようのない内容だった。

 打線では、1番・森友哉、4番・田端良基らが注目されるが、決勝では1安打だった白水健太が先制本塁打を放ったように、チーム全員で得点を取りにいっていた印象が強かった。森以外にも、6番の笠松悠哉、代打で4試合に出場した近田拓矢ら2年生がおり、来年もさらに注目だ。4年で3回の全国優勝。まさに絶頂期と言えるだろう。

 一方、今回も決勝で勝つことはできなかったが、光星学院高も3季連続で甲子園準優勝。立派な成績であり、胸を張ってほしい。チームでは、1番・天久翔斗、3番・田村龍弘、4番・北條史也らに注目が集まったが、それ以外の選手も夏の舞台で活躍を見せた。特に神村学園高(鹿児島)戦や桐光学園高(神奈川)戦では走塁への意識の高さを見せた。田村主将が、「日本一の走塁を目指してきた」と話した一端が見られた。

明暗を分けた投手起用

 ベスト4に残った明徳義塾高(高知)と東海大甲府高(山梨)は、プロが注目するような選手こそいないが、全員で勝利を勝ちにいく姿が印象深かった。改めて野球はチームスポーツだと再認識させられた思いだ。

 そんな意味では、特に投手起用で明暗を分けるチームが多かった。
 特に3回戦で敗れた浦和学院高(埼玉)がその典型。春に大阪桐蔭高に敗れ、日本一を目指す中で、このゲームではエースの佐藤拓也ではなく、2年生の山口瑠偉をマウンドに送った森士監督。そこまでは良かったのだが、序盤に失点する中で、ゲームプランを修正できずにエース・佐藤を5回まで温存することになってしまった。立て直しを任された1年生左腕の小島和哉も失点し点差を広げられ、致命傷となった。
「こんな形で終わってしまって悔しい」と涙した佐藤。森監督は、「私のミス」と口にするのが精いっぱいだった。せめて3回からの2番手が佐藤だったならば、失点したとしても納得できる負けだっただろう。そう考えると、指揮を執る監督は、大変な使命を背負っている。

 逆に準決勝でエース・神原友を先発させられなかった東海大甲府高は、もう一人の柱である本多将吾が打たれても、同じ3年生の木下樹をマウンドに送った。結果は敗れたが、チームとしての集大成は見せられたのではないだろうか。

 夏の大会は頑張ってきた3年生が一番光り輝く舞台。その重みを1、2年生に背負わすのは酷だと言うことを全国の指導者には再認識してほしい。

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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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