長谷部誠が直面するかつてない危機=日本代表とクラブの狭間で揺れるキャプテン

元川悦子

キャプテンの仕事は決して疎かにしない

昨季はベンチ外となる試合も見受けられた。「事実上の戦力外」となり、新たな移籍先が見つからない場合は、今後の代表でのプレーにも影響を及ぼしかねない 【Bongarts/Getty Images】

 今後の身の振り方が全く定まらない中でのベネズエラ戦ということで、長谷部自身も今回ばかりは気持ちの持っていき方が難しかったことだろう。「移籍の問題は自分がどうこう考えすぎても決まるもんじゃないし、なかなか難しいものがある。今の僕にはボルフスブルクとの契約があと2年残っているという事実しかない。だからこそ、代表に集中するしかないです」と周囲の雑音を精いっぱいシャットアウトしようとしていた。

 そんな状況下でも、キャプテンの仕事を決して疎かにしないのが、彼らしいところ。9月11日のW杯アジア最終予選の第4戦・イラク戦(埼玉)で今野泰幸、内田篤人、栗原勇蔵の3人が出場停止になるため、ベネズエラ戦では伊野波雅彦、水本裕貴ら代役候補が次々と最終ラインで試合に出た。彼らを後押ししてやろうという意識を長谷部は試合前から強く持っていた。だが、伊野波はビルドアップのミスが目立った。相手の右MFセイハス(13番)に1対1でかわされ、失点に直結しかねないミスを犯して前半45分のみの出場にとどまった。後半出場した水本も、フェドール(7番)に同点弾を決められた場面で、右サイドを突破してきたマルティネス(20番)に寄せるか寄せないかの判断が中途半端になってしまった。指揮官の信頼をつかみきれなかった彼らに対し、十分なフォローができなかったことを長谷部は素直に反省した。

「新しく入った選手をもう少しサポートできればよかった。後半なんか7番が外に張るようになったのを離してしまったけど、もっと行ってよかったし、小さなコミュニケーションが足りなかった。代表っていうのは数少ないチャンスの中で結果を出さないといけない場だから、それができなかった伊野波の気持ちもよく分かる。とにかく前を向いてやってほしいなと思いますね。水本も戸惑ってた部分はあったかもしれないけど、激しく行ってたし、声も出てたし、悪いところばっかりじゃなかったですけどね」と、彼は仲間を勇気づけることを忘れなかった。

ボルフスブルク残留となれば

 こうやってチーム全体を見渡し、要所要所で鼓舞できる人材を、ザッケローニ監督も現時点ではスタメンから外したくないはずだ。代役候補筆頭の細貝にそこまでの絶大な影響力があれば別だが、今はまだその域に達していない。「長谷部さんはキャプテンだし、チームを引っ張るキャラ。そういう選手がピッチからいなくなれば、チームに多少なりとも問題が生じる。自分が入った時はそういうことも考えて、球際で激しく行ったりすることでチームを引き締められればいいと思ってます。だけど今回みたいに、出てすぐ横パスを取られてシュートまで持っていかれるシーンを作ってしまった。そういうことをやるから自分は今、試合に出られていないんだと思います」と細貝本人も自分に足りない部分があることを率直に認めていた。

 とはいえ、細貝は昨季のアウクスブルクでドイツ在籍日本人最多出場を記録。ボール奪取能力や寄せ、球際の部分に磨きをかけている。攻撃面では遠藤や長谷部に匹敵するような気の利いたパス出し、展開ができないものの、カウンターの起点になるボールの配球や組み立ての精度は着実に高まっている。今季からプレーするレバークーゼンで定位置を確保できれば、より一層評価は上がるだろう。ドイツでの立場は長谷部より明らかにいい。そこは確かにアドバンテージだ。

 欧州の夏の移籍市場は8月31日に閉まる。長谷部がスムーズに新天地を見いだすことができ、出場機会を得られれば、今後もザックジャパンで軸を担っていけるだろう。だが、万が一、ボルフスブルク残留となれば、少なくとも半年間は塩漬けにされる可能性が高い。9月のイラク戦、11月のオマーン戦(マスカット)の年内最終予選2戦で、彼のコンディションや精神面がどうなっているのかも未知数と言わざるを得ない。2年後のブラジルW杯に至ってはさらに不透明になってきそうだ。

「次に代表に集まる時は移籍期間は過ぎてるわけだし、身の振り方もハッキリしてる。いずれにしても、自分は何をやるにしても、どこにいてもブレることはない。今から2週間はクラブに戻ってやれることをやるだけじゃないですかね」と長谷部はあらためて覚悟を口にした。

 そのタフなメンタリティーを持ち続けられる最適な環境が用意されればいいのだが……。彼の動向はザックジャパンの今後を揺るがすテーマになりかねないだけに、慎重に見守っていきたいものだ。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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