五輪の亡霊と戦い続けるブラジル=2年後のW杯に暗雲漂う

才能豊かなタレントはそろっていたが

フッキ(黄)らA代表の主力選手を招集したが、金メダル獲得はならなかった 【Getty Images】

 今大会のブラジルには同国のエンブレム的存在であるネイマールがいた。バルセロナへの移籍が内定していると言われている彼がまだヨーロッパでプレーしていないのは、ブラジルサッカー協会(CBF)が同国のサッカー界と関係の深いバルセロナのサンドロ・ロセイ会長に対し、自国開催の14年W杯までブラジル国内でプレーさせたいと懇願しているからだと言われている。

 そのネイマールに加え、両サイドバックにはマンチェスター・ユナイテッドのラファエルとレアル・マドリーのマルセロ、センターバックには今夏ミランからパリ・サンジェルマンに移籍したチアゴ・シウバ、中盤には近い将来にスター選手になるだろうオスカルとサントスでネイマールとともにプレーするガンソ、前線には6得点を挙げ大会得点王となったレアンドロ・ダミアンがいた。

 しかし、今大会でブラジルが見せたサッカーは得点力こそあるもののゲームの構成力に欠けるもので、1次リーグ突破に苦労しただけでなく、ホンジュラスとの準々決勝では2度のリードを許すなど冷や汗をかかされた。それでも韓国を3−0で破った準決勝の後には多くの人々がW杯の必勝パターン、つまり決勝で最高の試合をして優勝を遂げることを期待しはじめた。

 だが現実は違った。豊富なキャリアを持ち、冷静沈着かつ厳格な監督であるルイス・フェルナンド・テナ率いるメキシコは非常に手ごわい相手で、開始から1分もたたずにオリベ・ペラルタに先制点を決められてしまう。

 巧妙なメキシコはこのリードを後半まで保った後、再びオリベ・ペラルタのゴールによりリードを2点に広げた。一方のブラジルはピッチのあらゆるところで厳しいプレッシャーをかけてくる相手のプレスに苦しんで自分たちのプレーを見失い、終了間際にフッキのゴールでわずかな希望を見いだすことしかできなかった。

思わぬ敗戦でメネゼス監督の進退も危うい

 84年や88年大会の失敗、準決勝ナイジェリア戦で3−4という信じられない形で敗れた96年アトランタ大会、ロナウジーニョ率いるチームがリオネル・メッシとセルヒオ・アグエロ擁するアルゼンチンとの準決勝で0−3と完敗した北京大会に続き、またも金メダル獲得の機会を逃したブラジルは大きな落胆に包まれた。

 今回の敗戦は厳しい反響をもたらすかもしれない。これまで大きな成功(11年のコパ・アメリカも不振に終わった)を手にできておらず、何人かのベテランを加えて13年に地元開催のコンフェデレーションズでばん回を期す若いチームに対する信頼はもとより、14年W杯そのものへ向けた期待感も損なわれかねない。

 すでに一部メディアから疑問の目を向けられていたマノ・メネゼス監督は、果たして続投するのだろうか。今回のメキシコ戦の予期せぬ敗戦は指揮官の任期を縮めることになるかもしれない。W杯では同じく地元開催だった50年大会の決勝でウルグアイに痛恨の敗戦(1−2)を喫しているだけに、次回こそは何が何でも勝たなければならないからだ。

 いまだ金メダルに手が届かないに五輪サッカーについては、16年のリオデジャネイロ五輪に向けて新たなページをめくる時が来た。同じく地元開催となる4年後の大会に向けては、新たな選手たちをベースに、新たな希望がもたらされるはずだ。

<了>

(翻訳:工藤拓)

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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