「笑って終わりたい」大阪桐蔭・藤浪が挑む最後の夏

松倉雄太

“ベンチ”で迎えた歓喜の瞬間

大会6日目の初戦に向けて練習する大阪桐蔭・藤浪 【写真は共同】

 7月29日、大阪大会決勝。
 大阪桐蔭高はライバル・履正社高を相手に10対8。最後はセンターの白水健太がファインプレーでゲームを締めた。

 197センチのエースが“ベンチ”から飛び出してくる。『頂点を獲った!』

 どこの地方大会でも見られる光景があった。もちろん、エース・藤浪晋太郎も喜びを表現していた。しかし、どこか素直に喜びきれない。そんな複雑な表情がテレビの画面に映し出されていた。
 試合後に「情けないです」と言葉を発した藤浪。歓喜の輪の中心にいるはずが、ベンチから飛び出すことになった自分自身に悔しさをぶつけた。

甲子園を逃した1年前に似た大阪大会決勝

甲子園の切符を手にしできた歓喜の輪。中心にいるはずの藤浪の姿は右端にある 【写真は共同】

「夏の借りは夏にしか返せない」

 藤浪が幾度も口にしてきた言葉だ。その舞台が大阪大会決勝だった。
 28日の準決勝は、もう一人のエース・沢田圭佑が7回1安打無失点のピッチングを見せ、チームはコールド勝ち。完全休養できた藤浪に沢田は、「(明日は)任せた」とお尻をポンと叩いた。

 準々決勝での登板から中2日でのマウンド。藤浪は立ち上がりに無安打で1点を失うが、その裏に4番・田端良基の本塁打などですぐに逆転してもらった。
 中盤以降、追加点を重なる味方打線の勢いにも後押しされ、快調にゼロを刻み続けた藤浪。7回を終わり10対1。決勝戦以外なら、コールドゲームになる点差になっていた。

 ところが……

 8回表、先頭打者の内野安打をきっかけに、履正社高打線の猛攻にあう。下位打線にいずれも初球を叩かれ3連打。上位にまわり、しつこい攻撃を見せられ、押し出しの四球を与えるなど、気がつけば10対6になっていた。

 西谷浩一監督は、ベンチ前で準備をしていた沢田を投入することを決めた。
 ボールを手渡し、ベンチに下がった背番号「1」。その光景は4点リードの7回に崩れて甲子園の切符を逃した1年前の悪夢に似ていた。後を託された沢田は、長打を浴びてゲームは2点差となる。しかし、そこで踏みとどまった。9回を3者凡退で仕留めてできた歓喜の輪。校歌を歌いながら感極まって号泣する沢田と、複雑な表情を見せる藤浪。その対照的な姿が、ゲーム直後の素直な気持ちを表していたのではないだろうか。

「夏は打たれてナンボ。勝つためのピッチングを」

 決勝から少し時間が立った8月3日。甲子園練習で土を踏みしめた藤浪に、あのイニングを振り返ってもらった。
「低めに徹底して投げられなかった。あのイニングだけですね。まだまだ(自分は)甘いです」

 苦しんで、苦しんで、苦しんでつかんだ夏の甲子園。周囲から幾度も発せられる『春夏連覇』という期待の声を分かっていながらも、藤浪はあえて自分からそのことを口にしない。あくまでも「目の前の一戦」という言葉を強調する。

「夏は打たれてナンボだと思っています。(だから)勝つためのピッチングをしたい」

 5日に行われた抽選会で、初戦は大会6日目の第3試合に決まった。
「相手がどことかは意識していなかった。(6日目なので)地の利を生かして調整していきたい」と抱負を語った藤浪。
 地元校の特権である、自分のグランドで自由に時間を使って練習ができる。この「地の利」は西谷監督も抽選後に口にした言葉だった。
 予定通り日程が進めば8月13日に迎える初戦のマウンド。お盆休みで超満員の甲子園で、夏の第1球が投じられる。

「最後の大会なので、笑って終わりたい」

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

新着記事

スポーツナビからのお知らせ

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント