“夢の祭典”が生んだ聖地ウィンブルドンでの9日間の奇跡=テニス

内田暁

芝の帝王と呼ばれるフェデラー。聖地ウィンブルドンで迎える五輪で戴冠なるか 【Getty Images】

“テニスの聖地”で五輪が開催される――錦織圭も「僕が生きている間に、また起きることはないだろう」と言う世紀の出来事は、多くの選手たちに、今回の五輪に対する特別な感情を抱かせている。現地時間5日の男子シングルスの決勝で、地元のアンディ・マレー(英国)と対戦するロジャー・フェデラー(スイス)は、ロンドンでの五輪開催が決まったころから「2012年まではプレーを続ける」と宣言していた。今シーズン限りの引退を表明しているキム・クライシュテルス(ベルギー)も、この五輪出場を一つの区切りと決めていた。

 伝統を重んじ、格式を尊しとするウィンブルドンは、たとえ多少の不都合があろうと時代の流れに迎合するを良しとせず、発足当時からの決まりごとを守り続けることで、大会の“格”を築いてきた。だが、五輪会場となったウィンブルドンは、その100年を超える歴史の中で恐らく初めてであろういくつかの変化を受け入れている。ファンにとっても目新しい聖地の隠れた見どころや五輪ならではの豆知識を、いくつか紹介しよう。

生まれ変わった、伝統の芝

五輪用に芝の移植が行われたウィンブルドンのコート。世紀のイベントのために異例の対応だった 【スポーツナビ】

 ウィンブルドンが「最も難しい大会」とされる理由の一つに、芝のコートがある。生き物である芝は天候によってボールの跳ね方などが変化するし、なにより試合数を重ねるに従い、どんどん剥げて土があらわになる。2週間に及ぶウィンブルドン選手権を終えたころには、ベースライン付近にはほとんど緑は見られなくなるのが常だ。
 ところが今年は、7月8日にウィンブルドン選手権が終了したその20日後に、再び五輪が開催されるのである。このわずか20日の間で緑のコートを復元すべく、スタッフたちは最大限に努力をした。
 
 その復元方法とは、基本的には「剥げた部分への芝の移植」である。準備はウィンブルドン選手権中にすでに始まっていた。まずは芝の種を、水やぬるま湯に約3日間つけて発芽させ、ウィンブルドン決勝が終わるや否や、剥げた部分へと移植する。さらに移植した後にも“特製シート”で覆って成長を促す処置が取られることに。シートを外した後は水を撒き、12日間かけて芝を10ミリの長さにまで育成。そして、五輪開幕の3日前に8ミリの長さに刈りそろえて、世紀の大イベントの日を迎えたのである。ただしこのコート、一部の選手たちからは「滑りやすく、普段の芝と全く違う」と不満の声も上がっているようだが……。

ドレスコードを破る、カラフルなウエア

 ウィンブルドンには「白を基調とした物しか身に着けてはならない」という厳格なドレスコードが存在する。かつては、奇抜なファッションで知られるアンドレ・アガシがこの決まりに反発して大会に出なかったり、従わない選手に失格を言い渡すほどに、ウィンブルドンが尊守する鉄の掟(おきて)である。ところが五輪では、選手たちは青や赤など、ナショナルカラーのウエアを着ることができるのだ。緑の芝に映える色とりどりのウエア――このコンビネーションも恐らく、当分はお目にかかることのない珍事である。

キロメーター表示のスピード計

 テニスの大会では多くのコートに、サーブ速度を表示する液晶掲示板が備え付けてある。ウィンブルドンの場合、英国では距離の単位がマイル(1マイルは約1.6キロメートル)のために、速度も「時速◯マイル」で表示される。だが五輪では、国際標準にあわせてキロメーター表示。細かいことだが、これも少しばかり新鮮である。

ロッカールームがいつもと違う

 これは見る側としては知りようのないことだが、五輪で選手たちは、ウィンブルドン選手権中とは異なるロッカールームを使っているそうだ。そもそもウィンブルドンは、シード選手とそれ以外の選手が違うロッカールームを使うという“階級制度”を設けている。みなが同じ場所を使うのも、五輪精神ならでは?

 このように、ウィンブルドンの伝統と五輪憲章がうたう理念が合致したとき、さまざまな見慣れない景色があちらこちらで展開されている。それら全ては、恐らく今後二度とお目にかかれない“夢の祭典”が生んだ9日間限りの奇跡である。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント