銅メダルへ導いた世界一の“チーム力”=女子400mメドレーリレー

田中夕子

平井門下生の3人

3大会ぶりのメダルを手にし、笑顔と感激の表情を浮かべる選手たち 【Getty Images】

 2010年のアジア大会のことだった。
 50メートルバタフライ決勝レースを控える加藤ゆか(東京SC)が、寺川綾(ミズノ)にポツリと言った。
「綾さんも春佳(上田=キッコーマン)も、同じ練習をしているのに『加藤さんだけ結果が出ないのはなぜですか?』って、取材で聞かれちゃいました」

 寺川と同じく09年から平井伯昌日本代表ヘッドコーチに師事する加藤だが、10年の日本選手権、ジャパンオープンは100メートルバタフライで2位に終わるなど、なかなか結果が伴わなかった。そんな加藤が苦しむ姿を、寺川は見てきた。

 何気なく振られた質問とはいえ、少なからず傷つき、肩を落とす加藤の姿を、寺川は忘れられなかった。
 だからその直後に、本番のレースで日本新記録を更新し、加藤が2位に入るのを見た瞬間、周りも気にせず応援席から絶叫した。
「ゆか! ベストだよ、やったじゃん!」
 気がつけば、自分のレースでも久しく流していなかった涙が溢れて止まらなかった。

 今春の日本選手権でも、同様のことがあった。
 200メートル自由形で、上田は1位になりながらも派遣標準タイムが切れず、個人での五輪出場権を逃した。リレーの出場権は獲得し、まだ100メートルが残っているというのに、上田、加藤、そして寺川を指導する平井ヘッドコーチから、上田に雷が落ちた。
「何やってんだ春佳、綾が何のために200メートルに出るのをやめたか。お前、分かっているのか」
 上田が叱咤された理由は、他でもない。寺川にあった。

はぐくまれるチームとしての絆

 寺川が「オリンピックの個人種目は100メートル一本」に絞ったのは、2月の合宿中のこと。09年、10年の日本選手権で100、200メートル背泳ぎを制した寺川には、2種目の出場が目されていたが、200メートルを捨ててまで、勝負をかけたい理由があった。

「本音を言えば、100も200も出たかったです。でも日程を見ると、100メートル背泳ぎ決勝の3日後に200メートルが始まって、その翌日には決勝、しかも午前中にはメドレーリレーの予選があります。200メートルでのダメージを考えると、メドレーに支障が生じることは明確だったし、そのせいで他の3人に迷惑をかけてしまうのは絶対に嫌だった。一緒に練習してきた仲間と泳げるのは、この機会しかないから、個人で頑張るよりもメドレーに出て、みんなでメダルを目指したかったんです」

 同じ環境で練習を重ねてきた寺川、加藤、上田。公私ともに仲がよく、行動も常に共にするという3人にとって、メドレーリレーでのメダル獲得は、個人種目と同様に五輪でかなえるべき目標であり、悲願だった。

 合宿時の食事中も、いつも、メドレーの話ばかりしてきた。
 他国のレースもくまなくチェックし、細かな記録を収集して披露する上田、加藤の聞き役になるのが寺川だった。
「ロシアはこれぐらいで泳いでいますよ」
「オーストラリアを抜くには、私たちのタイム設定はこのぐらいかな」
「これ、3人だけじゃなくて(平泳ぎを泳ぐことが濃厚な)ボンバー(鈴木聡美=山梨学院大=の愛称)にも伝えた方がいいよね」

 普段の練習環境が異なる最年少の鈴木も、熱すぎるほどのメドレーリレーへの意気込みを語る3人に、気後れすることなく笑顔で言ってのけた。
「私に任せて下さい!」
 個人種目の競泳に、チームとしての絆があった。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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