吉田麻也、チームに安定感をもたらした頼れる主将

元川悦子

サッカー人生初の大舞台は3戦全敗という結果に

初の大舞台となった北京五輪では3戦全敗。この経験が今大会に生きている 【写真:AP/アフロ】

 しかしながら、代表では遅咲きだ。FIFA(国際サッカー連盟)主催の国際大会出場は08年北京五輪が初めて。布啓一郎監督(現日本サッカー協会ユースダイレクター)率いるU−17代表も、吉田靖監督(現U−19日本代表監督)率いるU−20代表はいずれも候補止まりだった。「U−20W杯(07年、カナダ)のアジア1次予選だった北朝鮮戦(05年11月、熊本)の時には、最終登録メンバーから外されて、荷物をまとめて一足先に帰ったこともある」と本人も苦い過去を打ち明ける。内田篤人や香川真司、槙野智章ら同世代の仲間たちが世界へ挑んでいく姿を傍らで見つめながら、吉田は「いつか自分も絶対代表になってやる」と熱い思いを胸に秘めていた。

 この念願がかない、北京五輪代表に滑り込んだものの、サッカー人生初の大舞台は3戦全敗に終わった。「当時19歳で分からないことだらけだったし、大会前にスタメン落ちしてしまった。結局、出たのは1次リーグ敗退が決まった後のオランダ戦だけで、全く自分らしさを出せなかった。チームとしてもそうでした。自分たちのサッカーをやって歯が立たなかったんならまだよかったけど、何も出し切れないうちに終わったのが一番歯がゆかったですね」と吉田はしみじみ振り返る。

 あれから4年。彼はVVVで2シーズン半プレーし、さらにはザックジャパンでも厳しい戦いを経験。守備を担う中核選手へと飛躍した。オランダですさまじい突破力を持つ選手と日常的に対峙(たいじ)することで、課題だった1対1のレベルアップにもいそしんだ。さらに、走り方のプロである法政大学准教授の杉本龍勇氏からアドバイスを受け、課題のスピードを少しでも向上できるように努力を続けている。11年アジアカップのころは、ヨルダン戦(グループリーグ第1戦)でのオウンゴールによる失点や、カタール戦(準々決勝)での不用意な退場など目に見える大きなミスも多かったが、ここへきてグッと安定感も増してきた。

 6月の14年W杯・ブラジル大会アジア最終予選第2戦・ヨルダン戦(埼玉)で右ひざを負傷したにもかかわらず、関塚監督が吉田の招集に強くこだわったのも、豊富な国際経験を若いチームに注入してほしいと考えたからだろう。吉田はオーバーエイジといえども、89年の早生まれの権田修一や永井謙佑と同学年で気心も知れている。2週間あまりしかない短い準備期間でチームに溶け込み、リーダーシップを発揮してくれるのはこの男だと指揮官は確信していたはずだ。

誰もが認める存在感

 その期待に吉田はしっかりと応えた。大会1週間前にはひざも回復し、スペイン戦からフル稼働できる状態になったのは幸運だった。彼がいることでゴール前に中途半端なスペースが生まれることもなくなったし、サイドを多少崩されても体を張って跳ね返す力強さも出てきた。5月のトゥーロン国際大会では外を崩され、中央もズタズタに切り裂かれる場面が目立ったが、今回の五輪3試合ではそういうシーンがほぼ見当たらない。

 センターバックのコンビを組む鈴木も「今は1人ひとりの距離感がすごくいい。それによって前がボールを追えるし、後ろもついていける。全体のバランスがよくなったのが大きい。1人がはがされても、カバーリングだとかポジショニングだとか、マークの受け渡しや、その後の対応もしっかりできるようになった」と吉田加入効果を前向きに評する。高さと判断力を持ち、的確な指示を出せる男の存在感をチーム全員が認めている。

 攻撃の起点が増えたことも、1つのプラス要素だろう。最終予選の時は、ボランチの扇原貴宏が攻めのスイッチを入れるパス出しの多くを担っていたが、五輪レベルの大会になると彼へのプレッシャーも相当厳しくなる。最終ラインから長いボールが供給されないと非常に苦しい。そこで吉田という精度の高いフィードを出せるDFがいるのは非常に心強い。「麻也君がいるとボールもすごく落ち着くし、奪った後の攻撃もうまくできている。ショートカウンターが決まっているのは、後ろでしっかり作れているのが原因かなと思います」と鈴木もコメントしている。

 吉田自身、3試合無失点という結果に自信を深めている。だが、五輪は決勝トーナメントからが本番。中田英寿、中村俊輔らを擁し「史上最強」と言われたシドニー五輪代表でさえ、この段階で足元をすくわれている。エジプトにはトゥーロン国際でも敗れているだけに、細心の注意を払う必要があるだろう。

「ここまで無失点というのを意識しすぎて、あまりにも守備的にならないように、高い位置からボールを奪って自分たちのサッカーをしたい。守りに入るのが一番よくないんで、気を付けたいです」と彼も気を引き締める。

 あこがれのマンチェスター・ユナイテッドの本拠地「オールド・トラフォード」で、日本の頼れるキャプテンはどんな仕事を見せてくれるのか……。より大きなクラブへの移籍もかかる吉田にとっては、真価を問われる大一番となるだけに、その一挙手一投足が気になる。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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