錦織だけじゃない! 男子テニス界に「厚み」を与えた添田と伊藤がロンドン五輪へ挑む

内田暁

昨年末に誓った「五輪出場」の目標を見事、達成。活躍が期待される添田豪 【Getty Images】

 例えば今から1年前、ロンドン五輪に日本の男子テニス選手が3人も出場すると予想した人は、果たしてどれほどいただろう? 
 当時、世界ランキング50位前後だった錦織圭(日清食品)は別としても、彼以外の2選手に関しては、出場の可能性を信じるにはあまりにも、五輪選考基準は遠く高いものだった。
 それでも彼らは自分の可能性を信じ、夢舞台への憧憬(しょうけい)を明確な目的意識に置き換えることで、自らの「五輪に出る」という言葉を現実へと変えたのだった。

 添田豪(空旅ドットコム)と、伊藤竜馬(北日本物産)。

 先行する錦織の背を追い、今年に入り世界ランキングを一段抜かしで駆け上がったこの2人こそが、現在の日本テニス界に厚みを与え、選手間の競争意識と相乗効果を生み出すキーパーソンたちなのである。

10年という時間をかけて実力を積み上げてきた添田

 すっと切れ上がった涼しげな目元に、首筋にかかる茶髪と左耳に光るピアス。感情をあまり表に出さず、エースやウイナーを決めても「さも当然」といった表情で淡々と戦う添田の姿を見た時、多くの人が抱く印象は恐らく「いまどきのクールな若者」だろう。

 だが素顔の彼は、そのような第一印象とは根本から大きく異なっている。
「悔しさは表現できるんですが、喜びを表に出すのは苦手なんです」

 そう言ってぎこちなく笑う姿は、テニスという孤独で過酷な競技を戦う戦士のイメージとは、どうしても重なりにくい。五輪に挑む心境にしても「意識しすぎて特別なことをしようとすると、空回りしてしまうと思うんです。特別な力に頼るのではなく、大切なのはそれまでの準備だったり、普段の試合や練習で実力を上げていくことだと思います」と、夢舞台もあくまでも日頃の鍛錬の延長線上にあると捉えているようだ。

 添田の言動に注意を払ったとき、そこから浮かび上がるイメージとは、自分の武器に日々、研さんをかけ、己の信じる道を進む“求道者”だ。
 添田がここに至る足跡も、そのような彼の信念を象徴するものである。今年でプロ10年目を迎える27歳。その間、多少の上下はありながらも、基本的には常に右肩上がりで一つ一つ課題をクリアしながら、前進を続けてきた。

地に足をつけ、五輪という目標をクリア

 実現不可能な夢想をすることなど無い添田が、五輪の存在を初めて意識したのは、4年前の北京大会の頃である。その当時のランキングは120位台であったが、「60位くらいまで行けば、テニスで五輪に出られるんだ」と、漠然とした目標意識を抱くようになっていた。
 
 その漠然とした想いに明確な輪郭が与えられたのが、昨年末あたりのこと。ランキングはまだ120位台と出場圏内には遠く及ばないものの、「目標はロンドン五輪出場」と公言し退路を断つことで、目指す地点へと突き進んだ。
 
 だがそのように自分を追い込みながらも、決して周りを見失わないのが添田という男だ。ランキングを上げるために必要な大会を厳選し、出場選手が確定する6月中旬までのスケジュールをにらみながら、一歩ずつ確実に目標への距離を縮めてきた。さらには夢を実現した今でも、「五輪に行けるランキングを目指し活動してきた中で、気づいたらここまで来ていた」と、日頃の積み重ねを強調する。 
 
 五輪を初めて意識した2008年7月第1週のランキングは、126位。その1年後は170位台にまで落ちたものの、10年末には120位、11年4月第1週にはついに100位の壁を突破し、そして今年7月16日時点でのランキングは、自己最高の54位に到達。
 
 今回の五輪出場は、幸運や奇跡に頼ることなく、心身錬磨に努めてきた彼の姿勢と信念の正しさを証明する、一つの輝ける金字塔だ。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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