野生児・岸本が挑む五輪 “欲”を持って世界へさらなる飛躍を=陸上
為末のような多才さを持つ岸本
五輪初出場の岸本。持ち前のハードリングのうまさと感覚で、世界に挑む 【スポーツナビ】
「中学の時は先生にハードルをやれと言われて、大会に出たのは110メートルハードルだけだったけれど、遊びではいろいろやっていましたね。走り幅跳びも大会前にやって遊んでたし。高3の県大会の走り幅跳びの記録は、踏み切り板に乗ってなくて30センチくらい手前で踏み切ってたんです。関係者にはちゃんとやれば7メートル20〜30は跳べていたと言われました」
まるで混成競技もやっていた為末大の中学時代のような多才さ。岸本を指導する法大の苅部俊二コーチは「為末と同じような感じですね。彼は幅跳びも三段跳びもできたけれど、岸本も多分三段を跳べるだろうし、十種競技をやってもけっこういけると思いますね」と、運動能力の高さを認める。
そんな岸本が自分の種目を400メートルハードルに絞ったのは、高校3年の時だった。
「本当は短い距離の方が好きなんです。練習も疲れないし、カッコいいし。できれば110メートルハードルで今くらいの立場になれたらと思っていたんです。でも、インターハイの400メートルハードルで優勝しちゃったので、もうこれしかないなという感じで覚悟を決めました」
躍進も記録に満足せず「恥ずかしい」
今季好調の岸本は、日本選手権で48秒41をマーク。五輪ではどんな走りを見せるのか 【写真は共同】
「大学へ来て、まず話したのはハードル間を5台目までは13歩にしようということでした。高2までは13歩で行っていたからできないわけじゃないし、15歩ではかなり詰まっていたから。それと逆脚で踏み切れなくて6台目から15歩になっていたのを、逆脚の練習をして14歩にしようと。上を目指すなら、1年かかってもいいということで」
苅部のアドバイスでその課題に取り組んだ岸本は、1年目に49秒86まで記録を上げた。そして2年目には49秒77に伸ばし、日本インカレで2位になった。
「その時は『学生で2番になったからいいかな』って満足していましたね。まだ大学生だから学生で勝負できてればいいやという考えで、欲もなかった。『卒業後は地元(青森)に戻って働けたらな』と思っていました」
大学3年になった昨年は、5月の静岡国際は49秒27で世界選手権(韓国・テグ)のA標準記録を突破。さらに6月の日本選手権でもA標準突破の49秒28で優勝し、世界選手権代表になった。それを岸本は「多分僕が一番ビックリしてたんじゃないですか。その次が親で……」と笑う。
だが日本選手権の優勝に満足したわけではなかった。彼を指導する苅部が現役の頃は、日本にも複数の48秒台の選手がいて、競り合っていた時代だ。世界のレベルも47秒台の選手が多くいて、世界大会では48秒台前半でも決勝へ進出できないほどのレベルだったと聞かされていたからだ。
「だから49秒28で優勝しても、全然うれしくなかったですね。『何だそれ、遅い!』っていう感じで。歴代の優勝タイムをみても49秒じゃ恥ずかしいし、為末さんの高校の時の記録(49秒09)より遅いですから。周りは喜んでくれていたけれど……」
そんな思いでいた岸本だが、本当に欲を持ったのは世界選手権を経験してからだという。準決勝へは進めたが、予選より記録を落とす50秒05で惨敗したからだ。直前のユニバーシアード(中国・深セン)では2位になっていた彼にとって、久しぶりに味わう屈辱感だった。
「レベルもそんなに高くなかったから、自分の走りができていればそこそこの勝負はできた。なのにあんなにズタボロにやられたんで……。試合が続いて練習ができていなかったというのはあるけど、悔しかったですね」