日本サッカーの進化をけん引した絶対的キャプテン=元日本代表・宮本恒靖に託された次なる仕事

元川悦子

挫折となった06年W杯での惨敗

試合終了後には息子の恒凛君から花束を渡される場面も。今後はFIFAマスターへ進学する 【写真は共同】

 そんな宮本にも、もちろん挫折はある。最もショッキングな出来事だったのは、06年ドイツW杯での惨敗だ。初戦・オーストラリア戦で、まさかの逆転負けを喫してから、チームは坂道を転げ落ちるようにグループリーグ敗退となった。彼自身も第2戦・クロアチア戦で不用意なPKを与え、第3戦のブラジル戦は累積警告で出場停止。完膚(かんぷ)なきまでにたたきのめされるチームを、ベンチから黙って見守るしかなかった。この後、ザルツブルクへ移籍するまで、彼はドイツでの出来事をほとんど口にすることがなかった。

「クロアチア代表でキャプテンをやってたニコ・コバチなんかを見てると、すべてをひっくるめて1つの方向へ持っていく強引さ、キャプテンシーがあった。自分はみんなに『頑張れよ』と言ってチームをまとめようとしてたけど、それだけじゃ足りなかったのかもしれない。僕も含めて、みんな思ってることを言わなすぎたのかな……。もっと『言う文化』にならないといけないですよね」

 宮本はオーストリアに渡り、あらためてキャプテンのあり方を再考したという。だからこそ、09年に移籍した神戸で出場機会が減っても、決して腐らずに努力し続けた。それが、チームを統率する立場の人間が取るべき姿勢だという信念が、宮本にはあったのだろう。「ツネは練習中から厳しく、つねにプロフェッショナルだった。手を抜いたプレーが一瞬たりともなかったんで、ホントに見習う部分が多かった」とユース代表時代から彼を知る神戸の同僚・吉田孝行も神妙な面持ちで話していた。ピッチにいてもいなくても、その影響力はやはり絶大だったのだ。

新たなキャリアを踏み出すためのFIFAマスター

 とはいえ、プレーする場が減れば、どうしても身の振り方を考えざるを得なくなる。11年が始まったころは「まだやれる体だし、現役を続行したい」という意思が強かった。松本山雅(当時JFL)に移籍した松田直樹のように、カテゴリーを落として新たなクラブの発展に貢献する選択肢も視野に入れ始めた。実際、オファーもあったという。そんな矢先に松田が急逝。宮本も激しいショックを受け、その方向性はいったん白紙に戻さざるを得なくなる。だが、年俸を下げて神戸と再契約する道もピンとこない。34歳という年齢も踏まえ、選手生活に一区切りをつけ、新たなキャリアを踏み出すべきではないか、という考えが次第に大きくなっていった。

 そんな時、浮上したのがFIFA(国際サッカー連盟)マスターへの進学だった。宮本のマネジメントを担うFIFA公式代理人・大野祐介氏が日本サッカー協会幹部から「元選手はみんな指導者になるけど、クラブマネジメントの方に進む人がいない。FIFAマスターで勉強するのもありじゃないか」と案をもらったことが、決断に至るきっかけとなる。

 FIFAマスターとは、スポーツに関する組織論、歴史、哲学、法律についての国際修士。同志社大時代に経済学を学んでいた宮本にしてみれば、極めて興味深い内容だった。10カ月の間に英国、イタリア、スイスにある3つの大学を回って勉強するというカリキュラムも国際派の琴線(きんせん)に触れた。国内での指導者への転身、大学への復学などの話もあったが、すべての選択肢の中で最も魅力的に映ったのが、このFIFAマスター入学だったのだ。

「そこへ行けば、ビジネス的なバックグラウンドを持った人間たちと交流できる。自分はサッカーの現場に近いところはよく知っているけど、それ以外はあまり知らない。1年という短い期間だけど、未知なることを吸収して、その後に何が見えてくるかがすごく楽しみ」
 そう本人もうれしそうに語る。そこから指導者を選ぶか、サッカー界全体をマネジメントする道に進むかは、まだ分からない。が、彼らしい形で日本サッカー界に貢献していきたいという考えは非常に強い。

仲間たちが期待する宮本のセカンドキャリアとは?

「サッカーは日本でもっと大きな存在になれるし、そうなっていかないといけない。スタジアムがいつも満員になり、親子3世代がそろって足を運ぶようになり、子供たちがプレーできるグラウンドがたくさんでき、日本がW杯で優勝するような日が来ると僕は信じている。そのために、それぞれができることをやりましょう。僕は僕でサッカー界の発展に貢献していきます」

 引退試合のセレモニーでも、宮本はそんな力強いメッセージを多くのファンに送った。「ただ泣いて終わらせるんじゃなくて、何かを伝える場にしたかった」と発言するあたりが、何事にも真摯(しんし)な姿勢でぶつかっていく彼らしい。そんな宮本なら、この先も日本サッカーに大きな影響を与え続けてくれるはずだ。

 宮本を送り出す現役選手の間からも、そんな期待の声が相次いだ。小笠原満男(鹿島アントラーズ)もその1人。
「指導者になるなら、規格外なことをやってほしい。ツネさんはすべてパーフェクトなリーダーだし、あの人間性は誰もまねできない。指導者になるにしても、今までにないようなサッカー観や表現方法で、マニュアル化された現状をぶち壊してくれると思う。新しく斬新な方向性を作ってほしいですね」

 協会に入って、サッカー界全体を導いてほしいという意見も少なくなかった。G大阪時代に苦楽を共にした橋本はこう語る。
「ツネ君は監督よりも、協会とかでもっと大きな視点からサッカー界を見た方がいい。監督だと1チームの選手しか関われないけど、協会なら全体的な部分で大きな渦を起こせる。僕らに近い世代の人がサッカー界の流れを変えていってくれれば、すごく面白くなる。FIFAマスターに行った人はほかにいないし、先輩がいない分、やりやすさもあると思う。僕らもぜひ協力したい」
 一方、播戸竜二(セレッソ大阪)に至っては「日本サッカー協会のキャプテン(会長)になるのはあの人しかおらん」とキッパリ言い切った。その意見に賛同する者は少なくないだろう。

 絶対的キャプテン・宮本恒靖は、そんな仲間たちの熱い要望にどう応えてくれるのか。彼が日本サッカーを背負って立つ日が訪れるのを、今から楽しみに待ちたい。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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