オーバーエイジ・徳永悠平が関塚ジャパンにもたらすもの=マルチな能力と豊富な経験を持つ貴重な存在
攻守両面の仕事を最大限こなす
マルチな才能を持つOAの徳永(青)は、11日のニュージーランド戦で左サイドバックを務めた 【Getty Images】
「左サイドをやる時は右足でミドルを打つイメージは常に持ってるんで、あの時もこぼれ球でしたけど、しっかり抑えて打つことを意識してました。自分は右利きなんで、左に入った時はどうしても中へ行くことが多くなる。後半頭にもワンツーからゴール前に入っていくシーンがありましたけど、中央へ出て行って何か仕事をするという持ち味が出せたのは良かったと思います」
こう話す徳永が存在感を示したのは、この先制点のシーンだけではなかった。前半は右サイドバック・酒井宏樹、自分の前にいる永井謙佑との関係を考え、引いて守備のバランスを保つことを最優先に考えた。相手が思ったほど出てこなかったのもプラスに働き、彼が入った最終ラインは以前より落ち着きを増した印象だった。そして1対1の勝負にも負けなかった。象徴的だったのが後半13分、ニュージーランドの右サイドバック・トーマスが縦を突破してきた場面。徳永は出足が遅れたものの、迅速な対応を見せ、相手に仕事をさせずにゴールラインまで追い込んだ。5月のトゥーロン国際大会では、比嘉祐介や酒井高徳がオープンスペースを再三突破され、ゴール前を切り裂かれたが、今回はそういうケースはほぼなかった。「サイドの選手はやられないことが一番」という彼の強い自覚がよく表現されていたのだ。
今回は準備期間がわずか3日しかなかったが、徳永は周囲とのスムーズな連携を図り、指揮官から求められた攻守両面の仕事を最大限こなした。これでもう1人のOA・吉田麻也が加われば、最終ラインの安定感はより一層、高まるだろう――そんな期待を抱かせてくれる彼の関塚ジャパンデビュー戦だった。
OAと一緒に戦った過去の経験を踏まえて
日本は1996年アトランタから5大会連続での五輪出場となるが、実際にOAを使ったのは2000年シドニーと04年アテネの2大会。シドニーの時はフィリップ・トルシエ監督がA代表と五輪代表を兼務し、同じコンセプトで戦っていたから、OAといえども違和感は全くなかった。未知なるチームに年長者が入るという意味では、アテネの時が今回に一番近いだろう。
アテネでは小野伸二(清水エスパルス、当時フェイエノールト)と曽ヶ端準(鹿島アントラーズ)、高原直泰(清水、当時ハンブルガーSV)の3人が抜てきされたが、高原は肺動脈血栓塞栓症が再発。結局、小野と曽ヶ端が本大会を戦った。が、若いチームに溶け込む時間が足りず、チーム全体としての連動性を欠き、最終的に1次リーグ敗退を余儀なくされている。
「徳永が実際にアテネでOAと一緒に戦っているのは大きい」と関塚監督も語っていたが、彼自身も過去の経験からOAがどうあるべきかを思い描いたはずだ。ニュージーランド戦に向けた合宿が始まる前に「自分の方からチームに入っていくことが大事。五輪代表にはこれまで積み上げてきたものがあるんだし、新入生的な感覚で合わせていけば問題ないと思う」と話したのも、8年前を踏まえてのこと。あくまで今までの土台を尊重しつつ、足りない部分を埋め、プラスアルファをもたらすつもりで、徳永は関塚ジャパンに参戦したのである。